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福井大河マップ > 源平合戦と福井

源平合戦と福井

城福寺

じょうふくじ

平頼盛(清盛の継母・池禅尼(いけのぜんに)の子)の長男・保盛が鎌倉時代に開いた寺院。平治の乱の後、源頼朝が平家に捕えられた際、池禅尼は清盛を説得し、頼朝の命を救った。頼朝はこの恩を忘れず、頼盛一族を平家追討の対象外とした。庫裏の南に位置する庭園は国の文化財に指定されている。庭一面を覆う苔は大海を表現し、築山上には天然記念物の柊の巨木が植えられている。

住所 越前市五分市町11-26
連絡先 0778-27-1773

庭園入園料:500円
※要事前予約

城福寺

城福寺

祇王祇女屋敷跡

ぎおうぎじょやしきあと

平清盛に寵愛された白拍子・祇王は、仏御前が現れたことで清盛の元を去った。一説によると、尼となった祇王とその妹・祇女、そして母・とじの3人は、福井市三郎丸に移り住み、後に仏御前も同居したといわれている。

住所 福井市三郎丸(福井市西藤島公民館隣)

祇王祇女屋敷跡

祇王祇女屋敷跡

仏御前の滝

ほとけごぜんのたき

日本百名山に数えられる荒島岳から流れる、高さ100mにも及ぶ三段の滝。平清盛に愛された舞の名手で、平家物語にも登場する「仏御前」が、この滝で髪を洗ったという伝説に由来してこの名が付いた。

住所 大野市仏原(国道158号線沿い)
連絡先 0779-66-1111(大野市役所観光振興課)

仏御前の滝

仏御前の滝

小松重盛塚

こまつしげもりづか

平清盛の嫡男・平重盛ゆかりの人物が、山城国から落ちのびて、現在のおおい町名田庄納田終の小松集落に永住したという説がある。南川砂防ダムの側には小松重盛の祠がある。

住所 おおい町名田庄納田終(南川砂防ダム)
連絡先 0770-77-2820(おおい町立郷土史料館)

小松重森塚

小松重森塚

平家平

へいけだいら

源平合戦で敗れた平家の落人が隠れ住んだといわれる屋敷跡や岩窟が今でも残っている。「平家落人踊り」という踊りも現存している。1万本のブナが約40haにわたって生い茂っており、樹齢400年以上のトチの巨木や、ミズバショウの群落などが点在している。

住所 大野市巣原(国道157号線付近)
連絡先 0779-66-1111(大野市観光振興課)

平家平

平家平

誠徳寺の仏様

じょうとくじのほとけさま

『池田町史』によると、平家平(現大野市)に居住した平家の落人のうちの幾戸かが、現大野市と現池田町の境付近の巣原に移り住んだという。その際に持参した仏像が、故あって池田町水海の誠徳寺に安置されることになった。この仏像(阿弥陀如来像)は、誠徳寺の本尊として約440年前から安置されている。

住所 池田町水海92-18
連絡先 0778-44-6573

※要事前予約

誠徳寺の仏様

誠徳寺の仏様

どっしゃどっしゃ踊り

どっしゃどっしゃおどり

都落ちした平家の公達や殿上人を迎えたとされる、あわら市北潟に伝わる踊り。北潟古謡「どっしゃどっしゃ」として、福井県の無形民俗文化財に登録されている。あわら市北潟安楽寺では、毎年7月末の八雲神社例大祭で、古謡「どっしゃどっしゃ」にあわせて、老若男女が思い思いの姿で入り乱れて踊る。

住所 あわら市北潟
連絡先 0776-73-1221(あわら市文化学習課)

どっしゃどっしゃ踊り

どっしゃどっしゃ踊り

斉藤実盛の墓・生誕地の碑

さいとうさねもりのはか・せいたんちのひ

源平合戦で活躍した武将・斉藤実盛は越前国の生まれで、鯖江市南井町の文殊山には、斉藤実盛生誕の碑と墓がある。近くには子孫の住む家があり、庭園には実盛が産湯に使ったといわれる井戸と、実盛が手で植えた樹齢800年のヒイラギがある。

住所 鯖江市南井町
連絡先 0778-51-5999(鯖江市まなべの館)

斉藤実盛の墓・生誕地の碑

斉藤実盛の墓・生誕地の碑

実盛が植えた柊

実盛が植えた柊

斉藤実盛が建てた供養塔

さいとうさねもりがたてたくようとう

斉藤実盛が供養塔として建てたといわれる、笏谷石製の七重塔(現在は六重塔)が、美浜町北田泰蔵院に残っている。 泰蔵院はもともと実盛の生まれた鯖江市にあったが、昭和18年(1943年)に三方郡(現在の美浜町)北田・東光寺と重興され、北田泰蔵院となった。

住所 美浜町北田48-6(泰蔵院)
連絡先 0770-32-0027(美浜町文化財保護・町誌編纂室)

斉藤実盛が建てた供養塔

斉藤実盛が建てた供養塔

実盛池

さねもりいけ

斉藤実盛が、池の水を産湯に使ったり、獲った首を洗ったりしたという逸話が残っている。近くにある実盛堂には、江戸時代に作られたといわれる実盛像と仏像が納められている。

住所 坂井市丸岡町長畝(長畝簡易局近く)
連絡先 0776-50-3164(坂井市役所教育委員会文化課)

実盛池

実盛池

燧ヶ城跡

ひうちがじょうあと

平維盛を大将とする北陸道遠征軍を食い止めるため、木曽義仲が仁科守弘に命じて築いたとされる。『平家物語』によると、援軍の平泉寺の長吏(指導者)・斉明が平家方に内通したため、燧ヶ城は落城したという。義仲軍は城を捨て、砺波山(石川県と富山県の境にある山。倶利伽羅峠のある山)まで退却した。

住所 南越前町今庄
連絡先 0778-45-0074(今庄観光協会)

燧ヶ城跡

燧ヶ城跡

国史跡 白山平泉寺旧境内

はくさんへいせんじきゅうけいだい

古代から中世後期にかけて白山信仰の拠点となった寺院。中世には天台宗の巨刹として多くの僧兵を擁し、同寺の動向は源平合戦の勝敗にも関わっていたとされる。
『平家物語』によれば、木曽義仲が北陸道から都に上るにあたり、義仲に味方したのが平泉寺の勢力であったという。義仲軍は都から平氏を追い出し、平家滅亡のきっかけを作る。一方で、平泉寺はかつて平氏方につき、一度は源氏に寝返ったものの再び平氏に内通したという歴史も持つ。(平維盛の燧ヶ城攻め)
現在の平泉寺集落は、中世の石垣を利用した当時の僧坊(僧侶の住居)の面影を残している。また史跡内では、勝山市による発掘調査が進められている。

住所 勝山市平泉寺町平泉寺
連絡先 0779-87-1245((社)勝山観光協会内 勝山市観光ガイドボランティアクラブ)

平泉寺白山神社

平泉寺白山神社

弁慶の的岩

べんけいのまといわ

鯖江市上河内町の山中にある巨岩。高さ、幅ともに20mある。岩肌には矢の跡が残っており、源義経一行が京都から奥州へ落ち延びる際、北陸道を通り、武蔵坊弁慶が谷の対岸からこの岩めがけて矢を放った跡だと伝えられている。

住所 鯖江市上河内町如来谷
連絡先 0778-51-5999(鯖江市まなべの館)

弁慶の的岩

弁慶の的岩

大塩八幡宮

おおしおはちまんぐう

寿永2年(1183年)6月、倶利伽羅峠の戦いで勝利した木曽義仲が、敗走する平家軍を追って越前国に入り、陣を構えた場所。この時、拝殿が炎上したため、杣山日吉神社(現・南越前町堂宮の鵜甘神社)の拝殿を三日三晩で移築した。義仲は、本意を遂げて祈願成就した際には必ず造り替えるとして、陰陽の柱を逆に建てた。しかし寿永3年(1184年)の近江粟津の戦いで源範頼・義経に討たれ、願いは叶わなかった。2本の柱は現在も逆のまま立っているという。
昭和53年(1978年)に、拝殿は国の重要文化財となった。本殿の裏手の桜井の峯(170m)には、義仲の本陣跡が残っている。北陸地方唯一の大型拝殿は圧巻。

住所 越前市国兼町22-2
連絡先 0778-23-8074

大塩八幡宮

大塩八幡宮

十一面観世音立像

じゅういちめんかんぜおんりつぞう

源頼政が、耳川の水の中から発見したとされる仏像。仏像は平安時代中期の天台宗の僧・恵心の作ともいわれ、現在は水生寺が所蔵している。

住所 美浜町河原市37-1
連絡先 0770-32-0027(美浜町文化財保護・町誌編纂室)

十一面観世音立像

十一面観世音立像

沖の石

おきのいし

小浜市北部の若狭湾、沖合い7kmにある石。後鳥羽天皇の中宮に仕えていた歌人・二条院讃岐(源頼政の娘)が、潮が引いた時でさえ波に飲まれ濡れる沖の石は、まるで忍ぶ恋の辛さから涙に濡れる袖のようだという悲恋の歌を詠んだという。
わが袖は 潮干に見えぬ 沖の石の 人こそ知らね 乾くまもなし (百人一首 歌番号92)
(私の袖は、引き潮の時にも見えない沖の石がいつも濡れているように、あなたの知らないところで乾く間もなく悲しみの涙に濡れているのです)

住所 小浜市田烏沖合い
連絡先 0770-52-2082(若狭おばま観光案内所)

沖の石

沖の石

千古の家

せんこのいえ

坪川家の先祖・坪川但馬丞貞純は北面の武士で、源頼政の後裔といわれており、約800年以上前にこの地に移住したといわれている。(頼政は源氏の武士であったが平家方につき、保元・平治の乱では勝者の側にいた。平清盛の信頼も厚かったが、以仁王の挙兵で落伍した)
この家は中世末期~江戸時代初期に建てられたと考えられており、国の重要文化財にも登録され、全国的にも貴重な古民家のひとつである。古風な構造を持ちつつも、股柱や手斧を使った梁の仕上げ、迫力ある入母屋破風など、高いデザイン性も有名。春は花、夏は木々の緑、秋は紅葉が楽しめる。

住所 坂井市丸岡町竹田30-11
連絡先 0776-67-2111((財)坪川住宅保存会)

入場料:500円、中・小学生300円
休館日:水曜日(冬期積雪のため休館の場合有)

千古の家

千古の家