「江」・「初」・「茶々」三姉妹について
 三姉妹の次女。京極高次の正室として京極家に入り、初代小浜藩主である夫・高次に先立たれた後出家して常高院と名乗ります。
 大阪の役の際には、姉・茶々の嫁いだ豊臣家と妹・江の嫁いだ徳川家の関係を改善すべく、豊臣方の使者として仲介に奔走しました。三姉妹の中で一番長生きしたとされており、そのお墓は福井県小浜市の常高寺にあります。
茶々(淀殿) 長女 1569年〜1615年
 戦国武将浅井長政と正室市との間に産まれた三人の娘、江・初・茶々。
 天下統一を進めた織田信長の姪という血筋に産まれた彼女たちは、戦国時代の男たちの争いの中で翻弄されながらも、賢明に生きていきます。
 
初(常高院) 次女 1570年〜1633年
 三姉妹の長女。羽柴秀吉(豊臣秀吉)の側室となり、二人の子を設けます。一人目の子、鶴松の懐妊を喜んだ秀吉から山城国淀城を賜り、以後「淀殿」と呼ばれるようになりました。
 その後二人目の子、豊臣秀頼を産み、秀吉の死後は秀頼の生母として豊臣家政を掌握しますが、やがて徳川家康と対立することとなり、大阪夏の陣で徳川方に敗れ、自害しました。

 江は浅井長政と織田信長の妹のお市のあいだに、三姉妹の末娘として、小谷城で生まれました。名は小督(おごう)江与(えよ)などの諸説があります。
 江は三姉妹の中で一番早く結婚しますが、夫の佐治一成が豊臣秀吉と敵対する陣営に付いたために、無理やり離縁させられてしまいます。さらに二度目の結婚で江は子を宿しますが、夫・羽柴秀勝は出兵先の朝鮮で病死してしまいます。
 不運な二度の結婚生活の後は、家康の嫡男でのちの徳川二代将軍徳川秀忠の正室となり、三大将軍家光や勝姫(第二代福井藩主:松平忠直の正室)たちを産みました。

5/29(日) 終了いたしました。
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江(崇源院) 三女 1573年〜1626年