「平家」 関係資料のご案内

※1 平維盛たいらのこれもり ・・・ 平清盛の嫡孫で、清盛の息子・重盛の嫡子。平家一門の武将。
              美男子として有名で、宮中では光源氏の再来と名高かった。
             平家一門のエリートであったが、富士川の戦い・倶利伽羅峠の戦いで大敗
             を喫するなど、戦場ではほとんど功績を上げられなかった。
             平家の都落ち後、戦線を離れて那智の沖で入水する。

※2 平敦盛たいらのあつもり ・・・ 平清盛の甥で、清盛の弟・経盛の末子。
              官職についていなかったことから、”無官の大夫”と称されていた。
             17歳で戦場(一ノ谷の戦い)に出るが、源氏の奇襲を受け、平氏方が敗走
              する中、敵将・熊谷直実に討ち取られる。
               「そなたにとっては良い敵。名乗らずとも首を取った後人に尋ねよ」と
             直実に声をかけ、自らは最期まで名乗らなかったといわれている。

※3 安徳天皇あんとくてんのう ・・・ 平清盛の孫で、高倉天皇と建礼門院(清盛の娘・徳子)の息子。
             2歳にして天皇に即位するが、政治の実権は祖父・清盛が握っていた。
             壇ノ浦の戦いにおいて、祖母である二位尼とともに入水。
             この時、宮中から持ち出した三種の神器のうち、神璽(勾玉)と宝剣(草薙
             の剣)も海底に持ち去られたが、後に神璽だけは引き上げられたという説
             がある。

落人には武士だけじゃなく、
貴族や平民もいたみたいだね。

  「平家の落人」とは、源氏と平家の争いの際に難民となった武士や臣民を指し、必ずしも平家一門の末裔というわけではありません。平家方について落ち延びた者たちの総称が「平家の落人」なのです。

 敗戦の将やその従者、関係者であるだけに、落ち延びた者たちは人目を忍んで山間や谷間に身をひそめ、外部との接触を絶ち、静かに生活していたと考えられています。全国には平家に関わる様々な人物の伝承が残っており、中には平維盛(※1)平敦盛(※2)、さらには安徳天皇(※3)といった、史実において有名な人物の伝承もあります。

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平家の落人伝説

  真偽のほどは定かではありませんが、こうした落人伝説が現代まで語り継がれているのは、日本の東西を席巻した平家一門の栄華と凋落が、人々の心に深く印象付けられているからではないでしょうか。客観的な検証に拠らず、あくまで伝承としてのみ残る平家のその後の物語は、歴史ロマンのひとつとしても注目を集めています。