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災害ボランティア全国フォーラム’05inふくい 鼎談

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災害ボランティア全国フォーラム’05 in ふくいのメッセージおよび分科会報告

本内容は、平成17年6月9日、福井市フェニックスプラザにおいて、福井県、福井県災害ボランティアセンター連絡会、災害ボランティア全国フォーラム実行委員会が主催した「災害ボランティア全国フォーラム’05inふくい」での鼎談をまとめたものです。

鼎談者

 長島忠美 新潟県長岡市復興管理監(旧山古志村長)
 松森和人 福井県水害ボランティア本部センター長
 西川一誠 福井県知事

昨年の災害を振り返って

(松森)
 昨年の災害に直面して、知事や村長としていろいろな決断をされ、いろいろな葛藤もあったのではないかと思いましたが、あのときを振り返りお話をお聞かせいただきたい。
(長島)
 村長とは、ずっと村民の命と財産を守る仕事だと思う。村民の命を守るため、情報が十分でない中、全村避難の指示を出したが結果として財産や文化を捨てる ことになった。私としては、全村避難というのは一番出したくなかった決断だった、首長としてはいけないことだと今振り返ると思う。でもあの現実を前にして やっぱり出さざるを得なかった。あのとき、人の命の重さを避難生活をすごしていく中でわかった。せっかく助かった命を、今後、生活の再建にどう結び付けて あげられるか。これが正に私に課せられた課題と思う。私がこれをやっていくということが私の決断だったと思う。
(松森)
 知事は発災のとき、自分の足でまわるんだということで現場を回られ、臨時議会を開いて特別の予算を設けられましたが、そのときいろいろな葛藤があったと思いますが、そのときのことをお聞きしたい。
(知事)
 「災害は思わぬときに起きる」と言われているが、そのほかに「思わぬ場所に起きる」とも言える。また、「災害は進化して現れる」と思う。そのため、どう しても100パーセント対応できない。これまでの経験が活かされないことがある。そのような場合、行政やボランティアがたえず、あらゆる災害に備え取り組 んでいくことが必要である。
 災害を経験することはまれのことで難しいが、決断はスピードが大事だと思う。災害が発生した場合、数時間は全体像がわからない。一部しかわからない中でいろいろな葛藤があった。しかし、一部の情報でも前広に考え、判断していくことが結果として大事である。
 それから、現場主義だと思う。何か言ってくるはず、誰かが言ってくれるはずだということは間違いで、絶対そのようなことは起きるはずはない。やっぱり現場に出向き、お互いに情報を交換していくことが重要ではないかと思う。
(松森)
 今のお話だとスピードが大切ということでした。長島さんの場合、情報が入らないということで大変苦労されたとお聞きしたのですが、どうやって情報を伝え合ったのですか。
(長島)
 情報を早くつかみ、すばやく判断してその結果を早く伝えるかが大事だと思う。そして、県や国と情報を交換することである程度それを解消できるのではない かと思う。今後それを検討していくことが大切だと思う。住民の方は、10分あるいは30分で情報が入らないと不安に思う。情報伝達は重要である。

ボランティアに対する思い

(松森)
 福井豪雨のときもそうでしたし、新潟中越地震のときもそうですが、いちはやく県内、全国からのボランティアが支援に駆けつけ、何万人というボランティア が被災地でいろんな活動を展開しましたが、ボランティアを実際に目の当たりにして、行政とボランティアがあれほど直結して動くというのは災害時が一番強い と思います。いろんなボランティアがいますが、実際に六万人というボランティアがおとずれましたが、率直にどう感じられましたか。
(知事)
 松森さんのように全国での活動経験の深いリーダーの方、リーダーがコーディネートして全国からお集まりいただいた方など、いろいろなタイプの方がおられ た。いろいろな方がいることを認識することが重要だと思う。ボランティアのリーダーの方の注文が多かったが、そのときに、うるさいことを言っておられる な、と思わないことが大事で、気軽に応じる姿勢が大事である。聞くタイミングを逸すとボランティアの大きな力が発揮できないと思う。そのため、関係条例の 整備、日ごろからの訓練の準備など、行政とボランティアとの協力関係を築いておけば、立場の違いがあるが、ボランティアがうまく動いていただけると考え る。
 被害を受けた県民の皆様から、これからどうしたらいいかと呆然自失、手がつかない、なにをしたらいいか分からない状態でしたが、全国から応援に来ていた だいてそれで初めてハッとして元気づけられて、自分達も動き始めたとお聞きして、労力の提供以外に、ボランティア活動は、心理的な大きな応援になったでは ないかと思う。
(松森)
 西川知事はこまめに現場をおとずれておられまして、普通は知事ですと、お付の方が何人かいらっしゃるのですが、お一人でボランティアセンターに立って見 ておられるんですよ。近づいてみると、知事で、びっくりしたことがあるのですが、それくらい、私たちの声に耳を貸していただきました。今日ここにも新潟か ら来られた方、また、新潟にボランティアに行かれた方、かなりの方がいらっしゃるかと思いますが、長島様は全村避難で大変な思いをされてきましたが、ボラ ンティアの方はいかがでしたか。
(長島)
 2200人の村でボランティアに来ていただく事は想定していなかったので、私どもの職員も最初はどう対応してよいか、という状態だったと思う。行政とし てボランティアの皆さんを調整しようと思ったときは失敗だった。ボランティアの方々で話し合ってもらい、ルールを作ってもらってやっていただいたら上手く いくようになった。
 また、行政とボランティアとの間で中心となってくださる方と早く信頼関係を作って、信頼関係ができたところに任せてお互い情報交換をして住民にあたってもらう。行政が調整しようと思っていると必ず失敗する。

災害復興支援のあり方

(松森)
 我々ボランティアとしてもそれが信頼関係に繋がるのかなと思います。認めていただける、信頼していただける、調整ではなくて委ねるという形をとってとも に災害に立ち向かう、まさにこれが協働という形だと思うが、そういう形でやっていただけると我々も活動がしやすいと思う。  続いて、こみいったお話をお伺いしたいのですが、まず長島様のほうから、災害が続いている中で合併になってしまう、その辺の災害と合併というところでな にかお感じになることがありますか。
(長島)
 被災する前に私ども6市町村で信頼関係を築いていた。住民の中には、長岡市に編入されるほうですから、自分たちの声が届きにくくなるのではという心配の 声があった。合併をしたら、誰かやっぱり自分たちのことを応対できる人の顔が見えていないと住民にとって不安がつながるのではないかと考える。長岡市の方 で配慮いただいてこの仕事に就かせていただいて、とりあえず住民に顔を見せていられると思う。同時に村であるうちに、自分たちの地域を新しい市の中の一つ の地域としてどうするかという意識付けを作るため、一般会計当初予算額25億円の村でしたが、ほとんど繰越をするという覚悟のうえで、最終的に161億円 に予算を膨れ上がらせて災害復旧費を盛った。
 それは、私が村民に対して災害復旧を命を懸けてやるよ、という意思の表れだというふうにとってほしいと考えたからです。住民もそれによって、必ず直して くれるんだと、気持ちだけは受けとめてくれたようですからありがたいと思う。それと同時に、小さな村が災害をうけたときに、本当に直してもらえるのかとい うのが当初の心配でした。国の方からも応援いただいて、長岡市には入ったけれども、地域を共有する仲間としてつながっていると思う。
(松森)
 西川知事はいかがでしょうか。
(知事)
 被災したことが合併の障害となっていくとは思わないが、合併していく中で、新しい大きな規模の中で復旧あるいは復興を進める必要がある。
 災害の規模により、ひとつの市町村だけの手に余るような大きいスケールの災害が起きることがあり、しばらくの間は皆さん関心があるが、何ヶ月が経つと、どうしても気持ちが薄らぐので、そういうときこそ、県や国がしっかり応援していく必要がある。
 国が、日本国内のある地域のダメージをちゃんとバックアップするのだという国柄でないといけないと思う。
 法律には、最終的に誰が災害復興の責任を持つとは書いていないが、市町村や県は現場で一所懸命やっていくが、全体の応援は国の力でやってもらわないといけないと思う。

災害復興と地域づくり

(松森)
 国や県がしっかり応援するということですが、長島さんが以前、記者発表かなにかで出したコメントで、全国の方にたくさん応援していただいた。だから、せ めて、村へ帰る片道車線、一車線でいいから通していただければいい、後は、村民とつるはしを持って、自分たちで村をつくりなおすからと、普通だったらなか なかそんなことは言えないんですね。住民から、勝手なことを言ってるんだ、そんなことを言ってないで、全部通してもらえばいいじゃないかと言われかねない ことだと思うのですが。けど、あのメッセージは、逆に私は、自分たちでやらなければならないんだと、強いメッセージを感じました。あのメッセージの背景を 教えて頂けますか。
(長島)
 そういったことを受けて、国や県にもよくしていただいて、大きなお金と大きな時間を準備していただいたと思う。でも、私どもは中山間地で暮らす中で、自分たちが自分たちの地域をつくってきた、それはやっぱり、中山間地というのはある意味、生活が厳しい。
 豪雪の地だということで、思いを共有しながら、運命共同体でありながら、道を作ったり田んぼを作ったりというところでずっと暮らしてきましたから、やっ ぱり私どもはあそこに帰って、自分たちであそこに立つことが生き甲斐そのもの。それをすることが一番大切なこと、場合によっては自分たちでやりたい、村を なくしてしまって、新しい村を作る先頭に立ちたいという気持ちでいる。皆さんもそれは同じだと思うのですが。自分たちの地域がああいう形になったときは、 自分たちで先頭に立ってやりたい、どんなに不便でもいいからそこに暮らすことが一番大切なことだと私は思う。
 田んぼは元通りに直すんですかと言うから、元通りに直すのではなく、落ちたところに田んぼを作ったり畑を作ったりして、中山間地の棚田としての機能を回復したい、新しい農村美、景観を生み出したい、がんばっていきたいというのが我々全ての気持ちだと思う。
(松森)
 西川知事、どうですか。
(知事)
 地域を復興していくのは住民の皆様であり、その責任は市町村長にあるかと思う。災害の復旧、復興において、どうしても現状へ戻そうとするのが災害復興の基本的思想ではあるが、それにとらわれる必要はないと思う。
(松森)
 山古志村のほうには、「掘るまいか」という、ずい道を村人が掘ったという、映画を拝見しましたが、その話もお聞かせください。
(長島)
 豪雪時に山間地で病人が出た時に山を降りないと命の危険があるということで、トンネルがあればという思いを母親がもって、子どもが集落の皆さんにお願いして、つるはしとトロッコだけで16年かけて長さ1キロのトンネルを掘ったという話です。
 自分たちの地域は自分たちで考えなければならない。そのことのために国や県に力を借りるにしても、自分たちの地域の基本は自分たちで考えなければならない。
 自然というのが大きなものだとつくづく思ったのは、水道をつくるためにダムを作ろうと何べんも調査をしていたのですが、地震で自然にダムができてしまっ た。これで自然の力に逆らうのは我々には無理だなと感じた。自然で起こったものは受け止めて、その自然とうまく抱かれてみたり、見守ってみたりしなくては いけないというのが率直な感想でした。

今後の防災、減災の方針、災害ボランティアの姿

(松森)
 ありがとうございます。今後、防災、減災に向けて、西川知事に、どういう方針でやっていくのか。福井2030年の姿について教えていただいて、今後の防災に関して福井県としてのお考えをお聞かせください。
(知事)
 過去のいろいろな事実をみると、防災上の改善というのは、ある災害が発生して初めて我々はなにが問題かを考えてきた。災害の基本的な法律や災害ボラン ティアという言葉も災害後にできた。今回の水害、地震をできるだけ教訓としてしっかり受け止めて、いろいろな制度をなおして、可能な限り想像力をめぐらせ て、立派なものにするのが大切だと考える。特に、情報、通信、県と市町村との関係、またボランティアの皆さんの大きな役割といったものを可能な限り、新規 の防災計画や国民保護計画に具体化していくことが必要だと思う。家庭でもやれるだけはやるということも大切だと思う。
 また、福井県内のボランティアの方や防災担当の人は、できるだけ災害の起きた場所に応援にいくことも大事だが、勉強を重ねてお互いに水準を高めていくこ とも大事である。そして、まちづくりも、街のつくり方、水の問題、森林の問題、こういうものを考えながら進めていく必要がある。2030年、25年後のボ ランティアってどんなんだろうと想像すると楽しいような感じがする。日本のボランティアの場合はどうか。リーダーの方の活躍もあるが、どうしても行政と団 体で総合力を発揮する、そういう方向性にあるかと思う。
 30年近く前にフランスにいったとき、凱旋門の交通渋滞を、車に乗っている若い人がパッと降りてその人たちが交通整理をして、数分後に車列が自然に動い た。車の運転手の方が、やがて今、ボランティアの方が出てきますからね、と言って、そのとき初めて「ボランティア」という言葉を聞いた。「ボランティア」 のフランス的な意味は、このような形であると、私の頭の中にはある。
 我々が思っている災害ボランティアの姿というのは、こういうボランティアの姿だと思うが、これから価値観が非常に多様化し、満足度は、ひとりひとりの自 己的な満足を越えて、みんなでともに分かち合う満足へと変わっていくなかで、災害ボランティアが、今後どんなふうになるのかなと想像しながらも、まだその 姿はわからないと感じている。

復興計画と復興への思い

(松森)
 中越復興計画についてですが、すごいなあと思ったのが、二つの視点でつくられておりまして、一つの視点は、この復興計画が失敗したらどういう町になって しまうのか、もう一つの視点は、こういう風にやったらどういう町になるのか、二つが対比できるような計画になっています。一つ目の悪い方向に向かわないた めにこっちのほうをやりましょう、という計画なのですが、その復興計画と長島さん自身の復興にかける思いをお聞かせください。
(長島)
 復興計画の中で失敗していく道すがら、あるいは地域が発展する道すがらの二つで分けたが、基本はやっぱり人の気持ちだと捉えている。被災をうけた立場と して、いろいろ心配してもらった方とどう触れ合って自分たちの心を広くしていくか、それを復興の中で活かしていくことができれば、絶対後者の道、いわゆる 発展への道が開ける。
 私どもは中山間地災害でしたから、過疎とのたたかいであったり後継者不足のたたかいであったりしてきたわけだけども、失ったものを全て無くしてしまった のだから、新しい絵を描く上で取り返す大きなチャンスだというふうに私はとって、復興計画の中で新しい地域づくりへの、この災害を千載一遇のチャンスと捉 えると訴えた。
 高齢者問題は、生涯現役の村にする。75歳になっても85歳になっても仕事をとらない、一緒になって参加していく地域づくりこそが、これからの日本のふ るさとだと思う。気持ちに触れた住民が目覚めて、そして場合によっては、ボランティアだとか全国の皆さんに感謝を言いながら、その人たちと触れ合って新し い地域を考えていくことが出来れば可能だと信じる。
 新潟県知事は、災害が起きてからの就任で、就任からまず災害対応でよく動いていただいて、新潟県知事は日本一若い県知事で動きが軽くていいと感じた。
 昨年あれだけ、新潟も水害があって福井も水害があったのに、その水害の復旧途上でありながら、新潟にあれだけの優しさを届けてくれた福井の皆さんのこと をずうっと思っていて、今、知事さんのお話を伺って、この辺がルーツなのか強さかと思う。私どもはこれから、素直に全国の皆さんとネットワークを広げて いって、その災害だけではなくて、ずっと親戚になるくらいのつもりで、ボランティアにお世話になる。ボランティア親戚なり、親戚ボランティアになってもら いたいと思う。自分のところで採れた野菜を送ると、都会から美味しいお菓子が届くかもしれない。それくらい関わっていけるのが、住民とボランティアの関係 じゃないかと思う。

(松森)
 ここまで振り返って、あのときどうだったのか、そしてボランティアに対する思い、そして今,今後に向けてお話を聞かせていただきました。今回の災害ボランティア全国フォーラムは、災害時要援護者の方にテーマを絞ったフォーラムをやろうと開催した。
 先ほど西川知事のお話からもありましたように、どうやって水準を高めるか、どうやって次のステップへ入っていくのかといったことです。
 私たち今、長島さんのほうから昨年の水害のお話があったわけですが、福井豪雨のとき、私たち福井県水害ボランティア本部として最大の課題点といったもの は、災害時要援護者に対する対応でした。この点が最大の欠点として、我々は総括しております。翌年には、このことに対して道を作っていきたい、1回の フォーラムで答えがでるわけではない、これをスタート地点として前向きに取り組んでいきたいという思いで、このフォーラムを企画させていただきました。
 この鼎談において、長島様のほうからは、強い意志で人を信じる、一人一人が立ち向かうという強い信念を持てば、必ず道は通るんだということをお話してい ただきました。西川知事のほうからも、国や県がやるだけの問題ではない、官も民も一体となって、一丸となって取り組むべき問題だとお話をいただきました。
 ありがとうございました。

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福井県総務部男女参画・県民活動課
最終更新日:2005年6月20日