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県内の継体大王ゆかりの地

永平寺町(継体大王と同時代の、北陸を代表する古墳群)

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手繰ヶ城山(てぐりがじょうやま)古墳(初代・越の王の墓)

 標高163.3mの山稜に築かれ、全長129mの前方後円墳で、埴輪(はにわ)、葺石(ふきいし)、段築(だんちく)を備えた前方後円墳です。昭和52年に国史跡に指定されました。

手繰ヶ城山(てぐりがじょうやま)古墳(初代・越の王の墓)   データ
  • 永平寺町松岡志比堺、法寺岡地区
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石舟山古墳(6代・越前の王の墓)

 全長79mの前方後円墳です。石棺が出土したことから、石舟山と地元で呼ばれていました。石棺は荒らされた跡がありますが、墳形は整った形をしています。

石舟山古墳(6代・越の王の墓)   データ
  • 永平寺町松岡室、諏訪間地区
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二本松山古墳(7代・越前の王の墓)

 全長89mの前方後円墳です。
 過去に発掘が行われ、出土遺物は鍍金冠(ときんかん)、鍍銀冠(とぎんかん)、眉庇付冑(まびさしつきかぶと)、短甲、埴輪などです。2つの冠は日本に類例のない品で、朝鮮半島のものと似ています。現在は東京国立博物館で常設展示されています。
  二本松山古墳の被葬者は複数で、朝鮮半島との交流関係を持ち、越前平野一帯を治めた人物とその近親者であろうと思われます。
 築造年代は5世紀末、西暦475年~500年頃であろうと推定されます。継体大王が即位したのは507年(6世紀初頭)であり、継体大王が越前にいた頃に二本松山古墳は造られたことになります。二本松山古墳の被葬者は、継体大王の父母世代またはそれに近い年代の人物と考えられています。

二本松山古墳(7代・越の王の墓)   データ
  • 吉田郡永平寺町松岡吉野堺、諏訪間地係 ほか
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  • アクセス方法/
    (1)福井北インターより国道416号。越坂トンネル通過後丸岡方面へ。左手に登り口。登り口まで車で10分。林道徒歩40分で二本松山古墳。
    (2)えちぜん鉄道松岡駅下車、松岡公園より登る。登り口まで徒歩10分、遊歩道徒歩60分で二本松山古墳。