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福井市 |

足羽山山頂の足羽山公園三段広場には高さ4mを越える継体大王の石像が建っています。この石像は、明治17年(1884年)、内山基四郎を中心とした石工たちが立てたもので、笏谷石でできています。石像は継体大王が治水に際して水門を開かれたと伝えられる北北西の三国港を向いています。
また、石像が立っている三段広場と呼ばれる小丘は、直径60m、高さ10mの円墳でした。公園を造るとき一部が削られましたが、本来の古墳の形をとどめています。円墳としては県内最大級であり、山頂古墳とよばれています。
即位のため福井を離れることになった継体大王が、自らの生霊を合祀し娘の馬来田皇女(うまくだのひめみこ)を斎主としたことが始まりです。ご祭神の継体大王がたくさんの子宝に恵まれたことから、「子授け、安産、子孫繁栄」を御神徳としています。
なお、足羽神社は、式内社であり越前で最も古い神社の一つです。足羽山周辺から日野川にかけて、足羽神社の分社や継体大王を祀る神社が多く分布し、「三尾野」「角折」の地名と併せて、継体大王一族との深い関係を窺わせる地域です。
また、神社内にある足羽神社のシダレザクラは、樹齢350年と言われ、福井市指定の天然記念物になっており、多くの県民に親しまれています。
足羽神社のシダレザクラ
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弓筈(ゆはづ)社・矢筈(やはず)社を合祀しています。弓筈社は越前平野の治水のため、河川改修に笏谷石を多く使用したのが始まりで、石工達が生計出来るようにされた継体大王をお祀りしたといいます。
矢筈社は、治水に働く役夫が暑いときに、水を乞うたので、男大迹王が弓矢の筈(矢の末端)で巌を撞くと、冷水を得たところから、王自ら水神を祀られたところといわれています。
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日本書紀には、継体大王の妃として「三尾角折君(みおのつのりのきみ)妹・稚子媛(わかこひめ)」と記されています。その「角折」はこの地を指すと考えられています。
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継体大王と、その妃である三尾角折君妹・稚子媛を祀っています。
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勾大兄皇子(後の安閑大王)と檜隈高田皇子(後の宣化大王)を祀っています。
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継体大王を祀っています。
明治32年に、氏子の熱望により、創建されました。足羽山上の継体大王像を笏谷石で彫刻したものを御神体として、安置して氏神としています。
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継体大王の母・振媛の祖先である三尾氏を地名として残しています。越前では、「三尾」の名が記されている唯一のものです。
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男大迹王(おほどのおう)からオオドロの地名が付いたといいます。昭和33年に大土呂駅の改名が当時の足羽町役場から申請された際には、地元住民が反対し、名前が残されたといいます。
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