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越の国を代表する古墳群

1.三尾氏と越の歴代大首長墳

 三尾氏は越の国を中心に勢力をもった豪族との説が有力である。『上宮記』には、振媛の親族であると書かれており、磐衝別命(いわつくわけのみこと)(三尾君の祖)から振媛の兄・都奴牟斯君(つぬむしのきみ)までの七世が記されている。この系譜と坂井市から永平寺町に連なる大首長墳(だいしゅちょうふん)とが直接結びつくかは定かではないが、その可能性は高い。
 越の大首長墳は福井平野に注ぐ九頭竜(くずりゅう)川中流の両岸の丘陵上に立地しており。4世紀中葉から5世紀末にかけての歴代大首長の存在と変遷が解明されている。
 最初の大首長墳は九頭竜川左岸の松岡丘陵上に築かれた手繰ヶ城山(てぐりがじょうやま)古墳(福井県永平寺町)である。全長129mの前方後円墳で、100mを超す墳丘が4世紀の中葉に北陸地方に突如として造られたのである。埴輪(はにわ)、葺石(ふきいし)、段築(だんちく)を備えた畿内によく見られるスタイルである。
 2代目は4世紀後葉から5世紀初にかけて九頭竜川右岸に作られた六呂瀬山(ろくろせやま)1号墳(福井県坂井市)で全長140mの前方後円墳で北陸最大の古墳である。続く3代目は、六呂瀬山(ろくろせやま)3号墳(福井県坂井市)の全長90mの前方後円墳である。
 5世紀に入ると、日本海を見下ろす海岸の丘陵に4代目の首長墳として、免鳥(めんどり)5号墳(福井県福井市)が造られる。
 次の5代目は九頭竜川中流に戻って、泰遠寺山(たいおんじやま)古墳(福井県永平寺町)で全長64mの帆立貝形前方円墳、6代目が松岡丘陵上の石舟山(いしふねやま)古墳(全長79m)、7代目が二本松山(にほんまつやま)古墳(全長89m)(ともに福井県永平寺町)と前方後円墳が変遷する。4世紀中葉から5世紀末葉まで約150年間で7代(基)の大首長墳が確認されている。

2.越の大首長墳の特徴

 越の大首長墳の特徴の一つ目は、免鳥(めんどり)5号墳の1基を除き、九頭竜川中流域に集中して造営されていることである。一つの地域に歴代の大首長墳が造られる例は全国的にも少なく、安定した権力を誇っていたと考えられる。また、九頭竜川が福井平野に流れる付け根、扇状地頂部の南北に位置する丘陵上に立地しており、九頭竜川の治水とも関係があるものと思われる。
 初代から5代目までの前方後円墳は古墳の外部施設として埴輪、葺石、段築を備えているが、6、7代の首長墳である石舟山古墳、二本松山古墳はそのうちの葺石を備えていない。ともに標高250m以上、麓からの比高差も200m以上あるため、設置を省略したものと考えられる。いずれにしても、各期において北陸地方で最大の前方後円墳である。
 越の大首長墳の2つ目の特徴は、埋葬施設に笏谷石(しゃくだにいし)を刳(く)り貫いた石棺を使用していることである。笏谷石は福井市内の足羽山で採掘され、大首長墳まで運ばれた。初代から7代目の大首長墳は全て刳(く)り貫(ぬ)きの舟形石棺である。大和では長持形石棺や家形石棺に変化するが、越の国では一貫して舟形石棺が使用されている。
 5世紀の古墳からは大陸系の遺物が出土している。特に二本松山古墳からは鍍金冠(ときんかん)、鍍銀冠(とぎんかん)が発掘されている。日本列島の冠の出土例としても非常に古いもので、朝鮮半島の伽耶(かや)のものと類似している。この頃、越の各地域に伽耶系の遺物がみられ、大陸との盛んな交流が窺える。

鍍金冠
鍍金冠
鍍銀冠
鍍銀冠

3.若狭(上中地域)の古墳と継体大王の擁立

十善の森古墳

 5世紀後半の西塚古墳(福井県若狭町)からは金製の耳飾や金銅製の馬具が出土しているが、特に大加耶地域を中心に、ヤマト政権を介した外交によりもたらされた遺物と考えられている。
 それが、5世紀末から6世紀前葉にかけての「十善の森古墳」(福井県若狭町)築造の時期には、金銅製の冠帽やガラス玉など百済産と考えられる遺物が出土するようになる。この時期がまさに継体大王擁立の時期、つまりヤマト政権の不調和の時期に相当し、遺物の内容からも若狭の豪族が独自に朝鮮半島との交流をもった可能性が高いと考えられる。
 さらに、継体朝から欽明朝にかけては再びヤマト政権の中央集権体制が強化される時期である。若狭においては、6世紀中葉から首長墓が前方後円墳から円墳にいち早く変化している。ここからの出土品は、画文帯神獣鏡や馬具など、全国的に見られるものとなっており、ヤマト政権の介入を古墳の形態と出土遺物からも読み取ることができる。

 今城塚古墳(大阪府高槻市)に近い梶原1号墳からは、剣菱形の馬具が発見されており、十善の森古墳や丸山塚古墳(ともに福井県若狭町)からも類似したものが発見されている。また、6世紀前半から中頃に築造された、下船塚古墳(福井県若狭町)などの埴輪は、尾張地方の古墳と類似しており、継体朝との関連が推測されている。