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県外の継体大王ゆかりの地

滋賀県

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 継体大王の父親・彦主人王と振媛が住んでいたといわれるのが、近江国高島郡三尾です。三尾は滋賀県北西部に位置する高島市南部の旧高島町および安曇川(あどがわ)町にあたると考えられ、現在も三重生(みよお)神社や三尾神社、水尾(みお)神社など「ミオ」の読みが残る神社が存在しています。そして、この地域には、彦主人王と振媛に関わる遺跡が多数存在します。

田中王塚古墳(彦主人王の墓に比定され、宮内庁の管轄下にある古墳)

 明治38年(1905年)に宮内庁が継体大王の父である彦主人王墓と比定し、その南の陪冢(ばいちょう、主たる古墳に随伴する古墳)三基とあわせ、陵墓参考地としました。泰山寺野(たいさんじの)という丘陵の突端に位置し、頂上からは高島市が一望できる場所にあります。
 この付近には40数基の小型墳が集まっており、田中古墳群と呼ばれています。採集された須恵器や埴輪などから、5世紀後半の古墳群であると考えられており、田中王塚古墳はその主墳であり、小型墳は陪冢(ばいちょう)とされています。

田中大塚古墳(彦主人王の墓に比定され、宮内庁の管轄にある古墳)   データ
  • 墳形/円墳ないし帆立貝形前方後円墳
  • 規模/全長約70m、後円部径約58m、高さ約10m、前方部長約12m、同高さ1.7m
  • 時期/5世紀後半
  • 高島市安曇川町田中1877-1
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  • アクセス/JR湖西線「安曇川駅」下車、車で5分

鴨稲荷山(かものいなりやま)古墳(近江の三尾氏を葬ったとされる古墳)

 彦主人王が別荘を持っていた近江国高島郡三尾にいた豪族といわれる三尾氏の墓と推定されています。
 鴨稲荷山古墳は鴨川の右岸に位置し、近くには鴨川に掛かる天皇橋や志呂志神社があります。
 当初は稲荷塚と呼ばれていましたが、東側を通る街道が県道に昇格した際の改良工事で、盛土が土取りされた際、墳頂から棺の中身が朱で真っ赤な石棺が現れて大騒ぎになりました。明治35年(1902年)のことでした。
 その後、大正11・12年(1912・13年)に京都帝国大学による調査が実施された結果、後円部に横穴式石室があり、その中に二上山の白色系の凝灰岩を棺材にした家形石棺が納められており、石棺の外面もベンガラで塗られていたことが判明しました。石棺内には、金銅製の冠や沓(くつ)、魚佩(ぎょはい)、金製耳飾、鏡、刀子(とうす)、鉄斧(てっぷ)といった豪華な副葬品が納められていました。朝鮮半島の新羅王朝の出土品と類似しており、被葬者は大陸との交渉に明るかったと考えられています。

鴨稲荷山(かもいなりやま)古墳(近江の三尾氏を葬ったとされる古墳)   データ
  • 墳形/周濠を巡らせた中規模の前方後円墳。帆立貝形とする見解もある。
  • 規模/全長約45m、後円部径約23m、高さ約5m、前方部長約23m
  • 時期/6世紀前半
  • 高島市鴨
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  • アクセス/JR湖西線「近江高島駅」下車 車5分

水尾神社(継体大王の母・振媛を祀る神社)

 継体大王の母・振媛を祭神とする神社で、天平神護元年(765年)の創建と伝えられています。継体大王の父・彦主人王や振媛が男大迹王を生む時にもたれたとされる「もたれ石」などがあります。
 社域は相当広大で、南方1.5kmにある六角形の礎石は神社の鳥居跡であるといわれています。古来、歌枕として有名な背後の三尾山には、拝戸古墳群があり、三尾君の祖の墳墓と伝えられる皇子塚があります。

水尾神社(継体大王の生母・振姫を祀る神社)   データ
  • 高島市拝戸716
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  • アクセス/JR湖西線「近江高島」駅からバスで畑方面コース「水尾神社前」下車すぐ