小学校長会講話

 このページは、平成17年5月18日(水)に県民会館で行われた小学校長会での知事講話をまとめたものです。

   T よかった話について
   U 教育の強さについて
   V 教え方があることについて


 今日は小学校の校長先生、またOBの方もいらっしゃるのかもしれませんが、お話しをするようにという機会を得ました。もう少し小人数かと思いました。また壇上が高くなっておりまして、予定がちょっと狂ってしまいました。
 今日の話とはあまり関係がないものもありますが、お手元にいくつか資料を配布しました。
 今日は二つ話をしたいと思います。一つは最近、学校や先生、生徒さんについて感じたことを申し上げます。もう一つは、教育と言っても、みなさん方は専門ですので、ちょっと斜めの方から話をできればと思います。あまり準備をしなくて、最近読んだ本の話をするような格好になってしまいますが、お許しを願いたいと思います。

【T よかった話について】知事講話

 さて、最初は「よかった話」です。
 最近、学校や生徒、先生についても学校に伺ったり、お会いする機会があります。最近感じた良かったことを申し上げたいと思います。

 これからは、先生がああしろ、こうしろとあまり生徒におっしゃる時代ではありません。行政や組織が上意下達といいますか、ああだ、こうだという時代ではありません。みなさんで考えて頂かなければなりません。つまり、学校では校長自身が学校のことを考えるということでありまして、県下のそれぞれの学校の良いことが、よいニュース、よいグッズが他の学校に自然と広まって刺激を与えることが大事です。いい話を皆さんが首を長くして、耳をそばだてて聞いていただき、互いによくしていくことが大事かと思います。

 一つ目の話は、最近、南越養護学校の開校式がありましたが、さすがだと思ったのです。私はその開校式であいさつをしました。できるだけわかりやすく話をした積りだったのですが、私が挨拶をしておりましても、会場はざわざわしており、あまり話しを聞いていただけなかった感じがしました。したがって話は手短かにいたしました。次に、校長先生が式辞を述べました。情熱を込めて、わかりやすい言葉で話しをされると、会場は静かになりました。さすが専門家だなと思ったわけです。つまり、校長の話しというのは、情熱を込めて、その場に適切なお話しを、手短に話をするのが基本だと思いました。みなさんが学校で日々おやりになっている話がどういうものか、拝聴したことはありません。けれども、こういうことは良いと思いました。

 二つ目の話は、盲学校についてです。放送会館で陶芸展があり、視力の関係で子供たちが大変にがんばって作品をつくっています。バイオリン、人形、プロ野球の選手の帽子を作った子どももいました。何年もこうした努力を、校長さんや先生が指導しておられるということを伺いました。せっかくですから、県庁のホールは無料だからどうですかということで数日間開催し、新聞にも載ったと思います。これは何年も学校外のボランティアの美術、彫刻の専門の先生の指導も得ておられるようですね。また眼科の先生のアドバイスも受けておられるようです。継続的に学校自身の強い熱意、それから校外の方の支援も得て努力する。ということによって、生徒の情熱もつぎ込まれて、立派な作品も出来ますし、学校の特殊性といいますか、個性といいますか、そういうものもそこに表れていると思いました。生徒も頑張っておられるように感じまして、これもいい話だったと思ったのです。

 三つ目の話は、高校の話をします。先日、三国の福井の新港で関税の手続きがとれるようになりまして、開港の式典がありました。そこで、三国高校のブラスバンド、吹奏楽の生徒たちが、30人くらいおりましたでしょうか、指導の先生といっしょに来てくれまして、休日でありましたが、立派な演奏をしていただきました。拝見しておりますと、非常にニコニコしておられて、サービス精神がそこに表れていました。単に、休みの日に仕方なく演奏したという感じでなくて、いかにも服装やその行動が、その場にふさわしいような明るい感じを与えて、非常によかったと思いました。
 そして、同じ日に私自身の話になりますが、県立音楽堂、これは教育委員会が所管しております。白井淳夫さんというジャズのアルトサックス、ジャズの演奏会がありまして、鑑賞いたしました。午前中の三国高校の生徒の様子を見て、ジャズというものも勉強されて、やられると面白いと思いました。というのは、2、3年前になりますが、高等学校文化祭でアメリカの高校生が10人ぐらい福井に来ておりました。ジャズの演奏を立派にしておられましたね。ですから、レパートリーを広げるともっと良いのじゃないかなあと思いました。吹奏楽よりもおそらく弦楽器というのは難しいのでしょうね。こう押さえる場所が穴によって決まっているわけではないですから、かなり個性が入ってくる。弦楽器、バイオリンなどの指導も、小さい頃から学校でやられるような工夫があってもいいのではないか。というのは、以前東京に住んでいた頃、小学校で時間外にバイオリンを先生が教えられるのです。すると不思議なことに、一年くらいしますとたいへんうまくなるのです。一生懸命教えられたのだと思うのですが、ほどよい年齢の時に音楽の大先生につかなくても学校で勉強されると、たいていの生徒はバイオリンが弾けるのが不思議に思いました。ですから、吹奏楽や他の楽器を短い時間でも粘り強くやるとできるのだと感じました。その三つ目のよかったという話に付け加えたいと思います。

 次は、四つ目の話ですが、先日鯖江市の北中山小学校の3年生のみなさんと給食をいっしょにいただきました。お手元の資料に学校給食のことが多少書いてあります。これは別の学校で名前は書いてなかったのですが、宝永小学校です。
 北中山小学校では給食センターを独自にもっていて、今年、福井県が全国に先駆けて十人前後の先生方を栄養教諭として採用いたしまして、その先生もおられました。楽しく給食を準備しておられたと思いました。そして、6年生がインタビューに来て、知事はどういう食べ物が好きですかとか、仕事はたいへんでしょう、何が一番たいへんなのですかというようなインタビューを受けました。随分6年生になるとしっかりしているなと思ったのであります。
 学校の中庭に鶏を飼っておられました。私も自宅で鶏を飼いたいなと思っていましたが、カラスが来るからと危ないかなと思い聞きましたら、大丈夫だとおっしゃっていました。ともかく鶏を飼って卵もできるんだと、おそらく総合学習の一環かと思いました。給食も楽しい時間でありました。料理も子どもたちに楽しいような工夫をするともっと良いかと思ったのです。こういう学校の運営や方向づけは校長の大事な仕事と思います。ともすると大人が食べるような料理になりがちですよね。大人が作っていますから。それはやっぱり保護者や子どもたちの意見をうまく取り入れながら、子ども向けの洋風、中華風あるいは韓流もあるでしょう。いろんなものを工夫して、食育は学校の大事な仕事になるでしょう。

 五点目でありますが、最近市町村合併が盛んになっております。35あった市町村が最終的には来年度になりますと17になりますし、ほぼ半分になります。合併の式典というのがよくあります。あわせて、昔の町が50周年になる式典も催されております。そこに小学生が参加されるのです。僕たちの町はこういう町にしたいとか、あるいは合併がたいへん嬉しいとか、代表で出席される子供たちがいます。そういう様子を見ていますと、感想や将来の希望を述べるのですが、非常に堂々としていて、自然な感じがします。これはたいへんなものだと思います。ある程度練習もししっかりした子を選んでいるのかもしれません。必ずしもそういった感じもしない、自然にそうなってるのであれば、学校で長年教えておられる成果が少しずつでているのではないかと私なりに思いました。

 六点目ですが、この4月1日に県庁の新採職員と新採の先生の辞令交付式に両方とも出席しました。ちょうど連続して式典が30分ごとにあり、よく比較ができたのです。新人教員が格段に返事、立ち振る舞いがぴりっとしている。もう見た感じがそうでした。やっぱり先生方を選ぶみなさんの目、先生になりたいという若い人たちの自覚が、ある意味で違う部分があるのではないかと感じました。これからの教育の上ではよいのではないかと思います。社会人になる第一歩において、先生の姿勢というか、意識が違うような感じがいたしました。一方で嬉しく、また県庁の一般職員の方もそれこそ努力しなければならないと思ったのです。

 先ほど申し上げましたように、これから学校毎に地域で、よい事例をそれぞれ発展させる。そういうことが大事であると思います。どうしても教育の場合には、何かあったらたいへん、ちゃんと規則は守らないといけない、時間を守らなければならない、色々と心配されるわけです。そのことは重要ではありますが、よい事例をさらに伸ばして、教育をよくするということがもっと大事だと思います。
 私は先生の経験はないのですが、一度だけ先生と呼ばれたことがあります。これはある県にいたとき、農業高校生を南米に引率していったことがあるのです。私は県庁の部長でしたけれども、生徒からも先生と呼ばれました。向こうのブラジルに移住した人からも先生と呼ばれて、これは良かったというのではなくて非常に困りました。せっかくブラジルに来たのに、なんと先生と呼ばれると行動が不自由なのかなと思いました。みなさんも不自由な立場を感じているかとは思いますけれど、そこはあまり杓子定規の気持ちばかり持たないで、いろんな良い話を広めていく。外向きにそれぞれの教育現場でやってほしいと思います。これが今日の話の第一部であります。

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【U 教育の強さについて】知事講話

 次に、第二部の話をします。
 数日前にある本を読んでいました。これをもとに教育に結びついた話をします。

 一つは、教育に対する皆さんの心の強さについてです。
 私は社会人なりましてから、これまでに20回近く引っ越しをしています。先生もあちこちの学校へ行かれると、若い頃は下宿をされたり、嶺北の人は嶺南に行ったりと、かなり引っ越しをされたかも知れません。私は若い頃は本を買うのが好きでして、買うと捨てられなくて、引っ越しの度に妻から苦情を言われました。段ボールに本を入れておりますと、石のように重いですね。だんだんそういうことが分かりましたので、遅きに失したのですが、最近は本を基本的に買わないことにしまして、図書館をできるだけ利用しています。本を読む時間もありませんし、目もだんだん悪くなってきまして、目に毒なものはあまり目に入れたくない気がしています。きれいな光だけ目に入れてこの世を終えたいと思っていますので、読書も限定的にやりたいと思っています。
 さて、図書館へ行くのですが、時間もないのでどの本を選んだらよいか分からないのです。そこでざっと見たときに、同じ色の本が並んでいるところを選ぶようにしています。すると全集物が多いのです。そして、全集の一番左側と一番右側の2冊を借りるようにしています。その著者の20才の頃の本と70才の頃の本を抜いて交互に眺める。小説でもそうなのです、最初の1回目はですよ。そして、だんだん両側から縮めていく。始めの1巻と2巻を借りてしまうと、当たりはずれがあります。両側から本を読んでいって、気分転換するというのが大体のやり方です。全集はあまり書店にないので、幸いに読んだことがない本が多いことになります。しかも、有名な読まれない本が多く、当たりはずれがありません。全集のあるような著者は、立派な作家が多いですから先輩から教えられるような感じがしますね。
 ゴールデンウィークが過ぎまして、市のみどり図書館に龍野隆(たつのゆたか)という人の全集がありました。すっと抜いてみました。フランス文学の先生だと言うことが分かりまして、大江健三郎さんの先生の先生になるのでしょうか。右側というか第1巻ですね。この方のお父さんというのは、龍野金吾さんといいまして建築家です。東京にあります日銀本店や東京駅を設計した人です。明治時代の代表的な西洋建築の先生であると解説に書いてあり、お父さんも立派な学者であったわけです。私なぞは父親に戦国時代のこととか、忠臣蔵とか寝ながら聞かされたことがありますが、違うなと思いながら第1巻を読んでいったわけです。
 この中に、「父の書斎」という随筆が入っていまして、つまり父金吾の書斎の話です。次に、本人の「自分の書斎」という随筆も入っていました。龍野さんは子どもの頃、お客さんが来るとお父さんの書斎で寝かされたそうです。子どもだから夜中にふと目が覚める、慣れない部屋ですから。そうすると、お父さんはまだランプの灯の下で勉強している姿を見るというわけです。我々とは雰囲気が違う。兄弟が2人で、3つぐらい下の弟さんがいらっしゃった。父からお目玉をくらうときには、いつも書斎へ呼び出されたようです。日清戦争、それから日露戦争が始まるときの2回のことを鮮明に覚えているそうです。弟と一緒に「ちょっと来い!」といつも言われる。しかしその時は、お父さんが深刻な顔をして子供に対し「国に忠節を尽くせ!」と言われたそうで、明治時代の話ですから。また「ちゃんと死ぬ覚悟はできているか」と言われた。日清戦争のときは本人7才、日露戦争のときは17才。
 そして、父龍野金吾は非常に勉強家であった。俗に秀才という言葉がありますが、「自分は秀才ではないから」と一生懸命勉強をしたそうです。勉強の話だけをしているわけではないので誤解のないように。「他の人が1回で分かることでも、自分は10回、20回質問しなければならないぐらいの気持ちで勉強をした。」と子供たちに教えたそうです。「貴様たちもその積りで勉強しろ!」とよく書斎で言われたそうです。ところが、本人はスポーツが大好きでろくに勉強もせずに、「落第するかしないかのぎりぎりの線を渡って学校を卒業した」と書いてあります。
 申し上げたいことは、子どもを教育する場合に生半可なことでは、普通の成果も出ないということです。大変なことだと思います。校長や担任の先生は日々努力されているとは思いますが、余程気を入れてやって初めて、子供たちの方もそんな気持ちになるのかと思います。龍野さんは紆余曲折を経てフランス文学をやったわけですが、後年書斎というものを持って、曲がりなりにも研究ができるのは父のおかげであると結んでいます。
 家庭教育も学校教育も同じだと思います。先生の熱意を注ぎ込むことが、子供たちの将来につながると思います。最近いろいろと、力ということを言ったりしますが、本当の意味で力は大事であります。指導者の情熱、教え方の技術、子どもとの信頼、これはまさに広い意味での「教育力」だと思います。情熱というのはもともとエネルギーですから情熱力とは言いません。情熱です。技術は力の観念ですから技術力、信頼は信頼力とは言いません、人間関係ですから。私は教育者ではありませんから、私は素人なりにこの3つが教育における力の観念、教える心だと思って、資料として考え方を入れておきました。

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【V 教え方があることについて】知事講話

 第2部の二つ目の話です。これも龍野隆の全集に書いてあることを、私なりに脚色してお話をするのです。この人はまた谷崎潤一郎と同級生だったそうです。昔の旧制高等学校ですね。それから、寺田寅彦という随筆家・物理学者が少し先輩になるようです。同じ全集の左側の方、晩年の巻に書いてあるわけです。寺田寅彦さんの思い出が書いてあります。「地図を眺めて」という随筆が、最後の巻に載っています。これは寺田寅彦さんが書いた随筆の表題と同じなのです。今でも、二万五千分の一とか五万分の一という地図がありますね。このことを寺田寅彦が書いている随筆についての龍野さんの感想なのです。
 昔はあの地図を作るのに、人々は大変な血と汗の努力をしている。国土地理院は、最初は陸地測量部という名前だったそうです。その当時人々の労力や給与とかを入れると一枚が一万円もかかったと書いてあります。しかしその地図を買うと1枚の値段は3銭だったそうです。たったコーヒー一杯の値段と書いてあります。地図は今の換算ではどうでしょうか。1枚の地図の作成コストが4、5千万円の換算となりますか。
 私は昔、寺田の随筆集を買ったことがあると思い、私の段ボール箱に寺田寅彦(岩波文庫)を探してみました。この龍野の文章を見て、原文を読んでみようと思ったのです。しかしなかなか出てこない、なぜかというと探しているから出てこない、しかしようやく出てきました。第5巻に「地図をながめて」がありました。自分は以前にその話を読んだということが分かりました、ちょうど10年前に。読んだ日付まで書いてあったのですが、全然覚えていません。そのうえに傍線まで引いてありました。残念ながら読んでも忘れているという話なのです。
 さて地図を作るのに、どれだけ真面目な地道な名も知らぬ人たちが頑張っておるのかということを、寺田寅彦が紹介しているのです。山のてっぺんに登らないと地図というのは作れない。仕事の相手は向こうの山に登る。しかし、こっちの山へはいくら待っても通信連絡がこない。そしたら向こうの山で遭難して亡くなっていた。という話が書いてある。また、天気が悪いから2、3週間も山頂どうしの見通しがつかないので、そのまま頂上でキャンプを続けなければならなかったとか、いろいろな苦労が書いてあるのです。
 ここからが今日の話ですが、「地図を眺めて」という龍野さんの感想の方に戻ります。文章は昔の言葉ですから、我邦すなわち我が国という言葉を使っています。「我邦中学校地理の教科書には必ず挿入すべきだと思った。この一文を読むのと読まないとでは、一枚の地図を眺める態度に非常に相違が出てくる」ということなのです。
 つまり我々はいろいろと教育をやりますが、教育の基本に関わる先人たちの努力というか、大事なところをしっかりと教えないと学問というのは身に付かない。単に自分たちの街がこうなってます、どこで何が採れるか、そういうのではなく地理の学習の基本としては、地図を昔の人がどうやって苦労して作ってきたのか、を教えなければならない、と言いたいのです。
 数日前、白川静先生が福井にお見えになりました。漢字の文字学のお話しをされました。現在の漢字のなりたち、あるいは平仮名、カタカナがいかに現代の姿になり、常用漢字とか当用漢字がどう使われ、その音訓がどうなっているか、その基本を教えなければ国語というのは成り立たない。白川先生のお話を聞いておりまして、私だったら小学3年生でもよいと思いますが、漢字というのは4、5千字ある。その字をすべて一枚の紙に書いて、この字は音でも読めるし、訓でも読める、そして今習うのはここだという全体の図柄をイメージとして持つことが大事かと思います。それを知っているか、知らないでいるかによって、漢字や文字離れに関わる話になるのではないかと思ったのです。地図であれ漢字であれ、あらゆるところで基本となることについて、鳥瞰といいますか、全体を与えるということかと思います。
 これをまとめますと、まず第一にごく当たり前と思っている教育の材料・技術、こういうものは多くの先人によって作られている。このことを子供たちに分かってもらわなければならない。もうひとつは、こういう人たちは知られていない人たちであり、先人たちの隠れた努力に感謝しなければならない。このことを教えて欲しいという気がしました。
 日本の地図を例にお話をしましたが、日本人としてのまじめさ、忠実さ、ごまかさない、こういう精神ですね、これによって教育は支えられてきた。同じ寺田の文章の続きに、当時の中国の地図はいい加減であるということが書いてある。今はどうか知りませんが、とっても使えないと書いている。日本人的な仕事のよさについて「科学的大和魂」と書いてありましたが、そういうことなのです。
 最後に申し上げたいことがあります。その学科の基本的な理解に係る問題を、現実に即して子どもに教え啓発をする、これが大事であると私は思うのです。歴史でも、数学でも、それぞれ基本に係ることがあると思う。それを教えないあるいは不十分だから、学習が嫌になると思います。私の経験でも、中学校になりまして、D・O・Gとローマ字で書いて、中学校になるとなぜ急にドッグと呼ぶのか、しばらく分かりませんでした。高校の因数分解の意味が、これは解くものではなく憶えるものであることもわからなかった。学校の先生は教えない。なぜこんな不効率が起こるのかということですね。基本的なことですね。「鳥瞰」これが今の学問に不足しているのではないかと思いました。先般の白川先生のお話でも、国語の漢字というのは、教科書に出てくる漢字を順番に教えるから全然脈絡がない、「鳩が豆をつつく」ように、出てきたものから習うから、およそ漢字の系統が分からない、憶えられないということでした。したがって、基本の理解について、是非、学校においていろんな話をして欲しい、その教授法を工夫してほしいと思います。以上が第2部の2つ目のお話でした。
 脈絡がないお話になりましたが、今日お話ししたいことは大体以上であります。

 こちらの資料をみていただくと、今回、県庁の20代・30代の職員が「ふくい2030年の姿」というのをレポートで作りました。そこに、福井が自慢できること、あるいは自信やブランドになりますこと、歴史・自然・文化、「いろはカルタ」で作ってくれたのです。これは単なる一例でありまして、「一筆啓上短い手紙」から「杉田玄白医学のはじめ」まで書いてあります。学校でも何か工夫しながら子供たちに覚えて欲しいです。白川先生は暗唱が大事だと言っていました。先生から頂いた本を読みましたら、先生が若い頃、漢文の赤壁の譜というのを当時の中学生の子供たちに教えたそうです。今ではその中学生はもう80才ぐらいですね、今もその漢文を暗唱できるそうです。普通の田舎のおじいさんが難しい漢詩の暗唱ができるものだから、村で学者と呼ばれているそうです。小・中学生は大事な時期であります。世の中の仕組みの基本に関わることを、最も記憶ができる大事な時期をのがさずに教えて欲しいと思います。

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