一橋大学国際・公共政策大学院
における特別講義
マニフェスト政治と民主的リーダーシップ

 このページは、平成17年11月21日(月)に一橋大学国際・公共政策大学院において「マニフェスト政治と民主的リーダーシップ」という演題で行われた知事の特別講義の概要をまとめたものです。
 同大学院の学生、東京都や神奈川県の市町村職員など、約40人が聴講しました。

 T マニフェストが民主政において果たす役割
 U 民主政における「民主的コントロール」の意義
 V 民主政における「政治的リーダーシップ」の意義
 W マニフェストによる「民主的コントロール」と「政治的リーダーシップ」
 X 議会や職員との関係
 Y マニフェスト政治における具体例(福井県の場合)
 Z 「福井元気宣言」の中間評価
 [ マニフェストにない取組み
 \ 「ふくい2030年の姿」
 ] 終わりに
   質疑応答


【T マニフェストが民主政において果たす役割】

 今日は「マニフェスト政治と民主的リーダーシップ」という演題でお話したいと思います。お手元に「福井元気宣言」というのがあると思いますが、それが2年半前の選挙の際に私が掲げたマニフェストです。
 マニフェストに基づく政治というのは、マニフェストが「政策公約」という性格を持ち、期限、数値目標などの具体的な項目を含むことから、政策重視の政治を担保する政治手法だと思われることが多いものです。
 それが政治家のリーダーシップを担保するものと考える人は少ないように思います。
 私は、「福井元気宣言」で、県民との「フレンドシップ(協調)」や「パートナーシップ(協働)」とともに、「リーダーシップ(指導力)」も掲げました。
 一見すると、これらは相矛盾するもののように聞こえますが、実際は補完し合うものであり、マニフェストとは、まさにその相互補完の機能を果たす重要な手段だと考えているからです。
 選挙というのは、有権者が本当に期待しているものが何なのかを問うものでありながら、実は曖昧なものになりがちです。これが、マニフェストというものが必要になってきた理由です。
 知事選の際、単なるスローガン選挙は避けたいという思いから、マニフェストという具体的な公約を掲げました。これによって有権者に対する責任をしっかり負いたいと考えたからです。
 自分だけやっても駄目なので、他の候補者にも呼びかけました。それで、全員がマニフェストを掲げて、初のマニフェスト選挙となったのです。
 マニフェストで住民の委任をしっかり受けるということ、政治家としてリーダーシップを発揮するということは、どちらも民主政治にとって必要なことです。
 これからの政治は、いかに民意を反映するかということと、そうやって責任を引き受けた政治家がいかにリーダーシップを発揮するかということを問題意識として持たなければいけないと思います。
 そこで、本日のテーマはその二つ、有権者からの民主的コントロールと政治家としてのリーダーシップのあり方ということです。

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【U 民主政における「民主的コントロール」の意義】

 今年は任期の折り返し点に当たるので、「元気宣言」の進捗状況について、行政評価等の専門家からなる評価委員会による外部評価をしてもらいました。
 7月に評価委員会から評価結果をもらいましたが、その中で、評価委員会の小林良彰委員長が、学者さんらしく、学問的な装いで、ジャン・ジャック・ルソーの言葉を引用しています。
 それは、人民は「選挙が終わってしまえばたちまち奴隷の身となり、なきに等しい存在となる」という『社会契約論』の言葉です。
 この引用のあとに、小林委員長は、「こうしたルソーの批判は、具体性に欠ける選挙公約が一般化し、選挙が終われば公約が忘れられがちとなる風潮の強い我が国の代表民主制において、今日もなおアクチュアルな警鐘としての意義を有している」と続けています。
 そして、有権者に具体的な期限、数値目標を提示するマニフェストが、「代表民主制の制約の中で、有権者が本来の主権を取り戻し、実効的に行使するための突破口としての役割をも果たすもの」だと述べています。
 マニフェストに基づく政治とは、「約束ごとを示して、その約束を守る」というのが基本であり、小林委員長はその意義を評価されたのだと思います。
 しかし、ルソーは、理想主義者だった人で、直接民主制の支持者であり、代表民主制は本物の民主主義ではないと考えていたようです。
 一旦、代表者を選べば、結局は代表者の意のままになり、人民の主権は守れないと考えていたようです。
 ただ、実際の世の中では、ルソーの考えるような直接民主制は困難です。福井県は83万人という比較的小さい地方自治体ですが、そんな規模でも不可能です。
 古代ギリシアの都市国家なら可能だったわけですが、それでも、ペリクレスのような強力なリーダーが必要になる時期があったのです。
 ただ、小さいことには有利な面もあって、部分的とはいえ、直接民主制的な手法を取り入れる余地もいろいろあります。
 例えば、福井県では、県民の目線に合った県政を推進しようということで、日頃、県政との関わりが少ない人達の声を聞く「座ぶとん集会」を開催しています。
 ほかにも、予算編成の知事査定前に、事業の概要をホームページで公表して県民から意見を募集するということもやっています。
 こうした取組みは、実際、報道機関等から「直接民主主義的」な手法だと評されたことがありますし、小さな自治体だからこそ、こうした手法が生きてくる面もあると思います。
 マスコミなどは、こうした理想主義的なもの、住民投票のような直接民主主義的なやり方を好む傾向があります。
 しかし、それは政策決定の全体的な過程から見れば、あくまで部分的な取組みにとどまるものでしかありません。
 実は、ルソーには『ポーランド統治論』という著作があります。
 この中で、大規模国家の場合に、代表民主制を前提として、直接民主主義的な理想を実現するのにどんな方策が必要なのかを論じています。
 ルソーが挙げている主要なポイントは2点あります。
 一つは、選挙を頻繁に行って、代表者を頻繁に交替させること、もう一つは、「代表者を彼らが選挙人から受けた指示に正確に従うよう強いる」、そして、「彼らの行動を選挙人に厳密に報告させる」という「命令的委任」の考え方です。
 今回の「郵政民営化」選挙では、民意を改めて問うために衆議院を解散したわけで、まさに民意を反映させるために選ばれた代表者を替えるという手法でした。
 今回の大阪市長選挙も、市政を刷新するために、具体的なテーマのもとに民意を問うという性格の選挙です。
 全国的にも、原発やダムの建設などで住民投票が行われてきましたし、最近では市町村合併の関係で目立ってきています。

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【V 民主政における「政治的リーダーシップ」の意義】

 しかし、現代の政治においては、共同体全体を向かうべき方向へとリードしていく意志と能力を持ち、最終的な決断を行うリーダーの存在が不可欠です。
 政治家が住民の代表として勝手なことをやらない、住民のコントロールから外れない、というのも民主主義の大事な要素ですが、リーダーシップというのも、実は民主主義に属する大事なものなのです。
 E・H・カーに『危機の20年』という著作がありますが、「ユートピアリズム」と「リアリズム」というのは、類似性や親近性があるもので、理想だけでは駄目ですが、理想を追いかけながら現実を見ることも大事なのです。
 リーダーシップの大切さを痛感するのは危機の時です。昨年7月に、本県は豪雨災害に見舞われました。こうした危機対策の際には、情報伝達や初動体制というものが重要で、リーダーとしての決断力や素早いアクションが求められるものです。災害対策本部ができる前に自衛隊にヘリの救援を求めたりしたものです。
 昨年8月にも、美浜原発の蒸気噴出事故があり、体制を整える前に、関係する病院に電話をしたり、救急車の出動を要請したりという対応をすぐにとって、被害を極力少なくしようとしたものでした。
 ルソーと対照的に、民主主義におけるリーダーシップの役割を強調した人として、ドイツの政治・社会学者マックス・ウェーバーがいます。
 この人は20世紀の人で、近代社会における官僚制の勢力の増大を目の当たりにして、官僚をいかに統制するかという課題が民主主義にとって重要なことだと考えた人です。
 ウェーバーは、官僚制との関係でリーダーシップを論じています。
 行政が専門官吏の裁量に委ねられれば委ねられるほど、それは有権者の思いとはかけ離れたものになるのは避けられません。
 政治家はややもすると、官吏の主張や要求にしばしば屈するだけでなく、それを代弁するだけの存在になりかねないものです。
 これは「政治家対官僚」という図式に象徴されるように、今日の我が国でも、例えば「三位一体改革」を巡る政治家と省庁の対立など、しばしば見られる現象です。
 専門官吏集団に対抗し、これを実効的にコントロールできるのは、人民の歓呼・賛同によって選ばれたカリスマ的資質と強力なリーダーシップを持つ政治家だけだというのが、ウェーバーの考えでした。
 しかし、皮肉なことに、ウェーバーの死後、ドイツでは、ヒトラーというカリスマ的政治家が、人民の歓呼・賛同によって指導的地位に登りつめるということが起きてしまいました。
 抵抗勢力をいかに排除するかということも大事ですが、うまくやらないと別の弊害も出てくるものです。
 今日でも、リーダーシップを強調しすぎると、「強権」だとか「独裁」という批判につながることがありますし、場合によっては、そのために組織が滅びるということもあります。

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【W マニフェストによる「民主的コントロール」と「政治的リーダーシップ」】

 実際の政治では、民主的コントロールを追及しすぎるとリーダーシップを阻害するのではないか、リーダーシップの役割が強すぎると強権に陥るのではないか、あるいは逆に、リーダーシップが弱いと官僚の独走を許すのでは、といった様々なジレンマを生み出します。
 どちらを重視するかに応じて、選挙における選択肢とは何か、という点にも捉え方に違いが表れてくるものです。
 例えば、「命令的委任」による代表者は、有権者の指示に従うことが全部で、大事なのは指示の内容、つまり政策ということになります。
 「リーダーシップ」を強調すれば、有権者はあくまで「人」を選ぶべきもので、政策は、選ばれた者が自らの責任で決定すべきものとなります。
 私は、これまでの2年半、「マニフェストに基づく政治」を実行する中で、マニフェスト政治こそは、こうしたジレンマを最もよく「調停し、解決する手段」であり、政治における「応答責任とリーダーシップ」とを媒介し、両立させる有効な手立てではないかと実感しています。
 マニフェストは、そこに掲げられた政策への信任を問うだけのものではなく、それを提示した候補者への「信頼」とも密接に結びついたものです。
 というのも、地方政治においては、有権者は一人の首長を直接選ぶ立場にあるからです。
 マニフェストの「政策」とそれを提示する「人」とが密接に結びついている首長選挙では、数値や期限を示して政策を明確にするというというだけでなく、政策を示した上で、「私に任せてくれ」と訴えることで、実行する人としての責任あるアピールと有権者の信頼を勝ち取ることが重要になってきます。
 私自身の実体験としても、知事選を戦う中で、多くの方と接し、対話しながら、ひしひしと感じたのは、個々の政策の是非以上に、「人」としての信頼性や責任性をしっかり見極めたいという有権者の思いでした。
 政策の委任、政策推進のリーダーシップというものは、政策の背後にある政治家への信頼、好意というものの力に裏付けられているものなのです。
 その意味で、マニフェストの実現は「人」にかかっているのであり、私は機会あるごとに「マニフェス・ヒト」という表現でこのことを言い表してきました。
 だから、マニフェスト政治というのは、「政策」と「人」という二つのバランスをとらないと難しいのです。

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【X 議会や職員との関係】

 マニフェストが選挙で信任を得れば、それは一政治家の施政方針ではなく、民主的にオーソライズされて正当性を獲得することになります。
 議会も、マニフェストに書かれていることに即して質問をしてくるようになりますし、マニフェストをベースに議論が活発になります。
 それは職員も同じです。長年、各分野で専門的に携わってきた職員といえども、自分の専門的知識や経験を拠り所に、マニフェストに掲げられた目標を安易に批判したり、抵抗したりはできなくなります。
 しかも、マニフェストは官僚主義的な因習や抵抗を排除して、政治家のリーダーシップの優先度を高めるという効果を持つだけではありません。
 マニフェストには、具体的な政策として何をやるかが初めから明確に示されているため、職員はこれに従ってすぐに課題にとりかかることができるというメリットがあるのです。
 実際、私が当選した直後から、県庁内ではマニフェスト実現のための事業の検討が既に始まっていたといいます。
 また、マニフェストは具体的な目標や期限があることから、いわば待ったなしの仕事を職員に迫っている。
 マニフェストは仕事の大幅なスピードアップにもつながるものであり、職員を引っ張っていく牽引役の機能を有しています。
 その意味で、マニフェストは、政策を民主的にオーソライズする媒体というだけでなく、首長のリーダーシップを強化し、政策の円滑な遂行を可能にする手段でもあると考えています。
 マニフェストは、リーダーシップを強力に後押しする推進力というだけではありません。
 ルソーは、「命令的委任」を担保する手段の一つとして、「代表者を選挙人から受けた指示に正確に従うよう強いる」ことを挙げていましたが、マニフェストは、まさにそうした機能を果たす性格を持っています。
 マニフェストには、目標、財源、工程などが明示されていますから、現代の代表民主制で、「命令的委任」の構想が求める要件に限りなく接近した責任政治の実現を可能にするものではないかと思うのです。

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【Y マニフェスト政治における具体例(福井県の場合)】

 福井県では、マニフェスト政治に基づく「政治的リーダーシップ」を具体化するために、これまで様々な仕組みを取り入れてきました。
 例えば、マニフェストの政策を着実、スピーディに実行に移すため、部局長との間で「政策合意」を締結しています。
 これは、一年間の工程表を作って、来年のいつまでにここまでやる、というのを予め約束するものです。
 また、「政策合意」だけでなく、職員一人ひとりが自発性を持って、自分の果たすべき役割と責任を明確にして業務を行うように、自ら業務目標を設定する「目標管理制度」を導入しました。
 こうした取組みは、職員に対するリーダーシップを強化し、成果を着実に上げるという効果を持つだけではありません。
 ルソーは、「命令的委任」を担保するもう一つの手段として、代表者の行動を「選挙人に厳密に報告させる」ことを挙げています。
 これはマニフェスト政治を実効性あるものとするためにも必要な手段です。
 マニフェストは、県民に対する「政策公約」であり、その達成状況の最終的な判断は、県民一人ひとりの判断に委ねるべきものだからです。
 このため、マニフェストとその年次計画に相当する「政策合意」の達成状況については、毎年度、速やかに取りまとめて公表しています。
 ただ、これらは、あくまで県による自己点検であり、サービスの受け手や第三者の観点から評価したものではありません。
 そこで、ただ「報告」するだけでなく、それ以上のことをマニフェスト政治の実行の中で試みようと考えたのです。
 「福井元気宣言」は、選挙時に掲げたマニフェストですので、本来の性格からいえば、その成果は、期限が到来した時に検証され、評価されるべきものです。
 しかし、現時点では、どのマニフェストも期限が到来しておらず、最終的な成果を検証できるマニフェストはありません。マニフェスト評価の基準や手法も確立されていません。
 さらに、マニフェストは、たとえ実行過程であっても、随時その進捗状況が問われ、必要に応じて施策の見直しを行っていくことも必要です。

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【Z 「ふくい元気宣言」の中間評価】

 そこで、冒頭でも述べたとおり、自己点検にとどまることなく、県民や外部の専門家から、任期折り返し点に当たっての評価をしてもらいました。
 具体的には、「福井元気宣言」の実行状況について、県民へのアンケート調査を実施するとともに、政治学や行政評価等を専門とする4人の学識者による評価委員会を設けました。
 アンケート調査の回収率は65%でした。過去のアンケート調査が50%程度だったことを考えると、県政への関心は非常に高いと感じました。
 結果でも、政治姿勢や「元気宣言」の政策の実行について、「高く評価する」と「ある程度評価する」が併せて約7割という概ね積極的な評価をもらい、今後の県政への期待の高さが表れていると思っています。
 この外部評価の目的は、これまで2年間の実行状況について、回顧的視点で評価点を付けてもらうことではありません。
 県民の評価や、行政評価等の専門家による客観的な評価を行うことで、個々の取組みにおける将来的課題を明らかにし、それを今後どんなふうに県政に活かし、役立てていくかということのほうが大事です。
 評価委員会からは、将来の政策課題として、「アウトカム(施策や事業に取り組んだ結果として出てきた、県民が最終的に受ける利益)」や「費用対効果(支出した費用に対して得られる効果)」を重視するということ、さらに、マニフェストの実行期間を超える課題など、マニフェストに書いてないことにも取り組むことの大切さなどについて示唆を受けました。
 こうして指摘してもらった課題も踏まえた上で、あとの2年もしっかり仕事を進めていかなければいけないと思っています。
 職員にとっても、この評価結果は、課題への認識と改善に向けて強力なインセンティブを与えることになるはずです。
 マニフェストそのものもそうですが、こうした中間評価も、民主的コントロールの実現という機能を持つだけでなく、政治的なリーダーシップを妨げるどころか、強力に後押しする推進力となるものだと考えています。

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【[ マニフェストにない取組み】

 私は現在、マニフェストを県政推進の基本に、掲げた目標の実現に向けて諸課題に取り組んでいます。
 マニフェストは、任期4年という期間の重要課題を掲げた政策公約ですので、必要な政策を網羅的に掲げるわけにいきません。
 県の仕事には、マニフェストに書いてあるものもありますが、書いてないこともたくさんあるのです。
 もちろん、知事によっては、マニフェストの項目を詳しく書く人もいます。政策全体を代表するものだと考える人もいるのです。
 私は、マニフェストの項目は、実はシンボリックな性格を持つものではないかと考えています。
 個々の項目で掲げられた目標から出発し、それらを一つひとつクリアしていくことがマニフェスト政治の本来のプロセスではないと考えています。
 むしろ、それらの背後にあるもの、つまり、有権者がそこで何を捉え、求めているかを常に理解するよう努めていかなくてはならないと思います。
 そこから出発して、時には社会情勢の変化に応じ、または突発的な事態に応じ、あるいは住民の声に応じて、マニフェストに掲げていない新たな施策や課題への取組みを打ち出すことも当然あり得ると思います。
 マニフェストに掲げた項目も、ただその数値を表面的に追い求めるのではなく、同じように有権者の視点に立って、常にその意味を問うたり、検証していかなくてはならないのです。

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【\ 「ふくい2030年の姿】

 その関連で、今年3月末に発表した「ふくい2030年の姿」を紹介したいと思います。
 これは、25年後がちょうど区切りがいいということで、福井県の将来のあるべき姿を県庁の20代から40代の若手・中堅職員が中心になって描いたものです。
 1980年にどんなことが問題になったかを手がかりにしながら、同じように今から25年後を考えてみるといった試みをしています。
 例えば、当時の新聞を見ると、結婚式場が満杯だという話がある一方で、既に少子化という言葉が使われていたりします。
 昔の本や古典などをできるだけ参照したり、あるいは、外部の人にいろいろ助言をしてもらったりして、できるだけ正確に2030年を見るように作りました。
 大事なことは、その時代の人々の満足とは何か、県のポジションは何か、ということです。
 現代は不確定な時代であり、長期的な計画は作れなくなりました。先進国においても国土計画などは作らない傾向があります。
 この「2030年の姿」は、長期計画のように個々の施策を予め担保するものではありません。
 将来のあるべき姿を示しながら、その都度の状況に応じて、どんな施策が有効なのかを考えるための一つの「道しるべ」としての性格を持つものです。
 県でそんな方向性を出した数ヶ月後に、国も同じようなレポートを出しました。
 同じく2030年を想定したもので、経済財政諮問会議が発表した「日本21世紀ビジョン」です。
 この二つには多くの共通点があるので、8月に、竹中平蔵内閣府特命担当大臣を招いて「2030年の日本と福井を考える県民フォーラム」を開催しました。
 マニフェストという短期的な目標と将来像をともに睨みながら、これからの県政を進めていきたいと思っています。

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【] 終わりに】

 ところで、最近、本県はいただきものをすることが多いようです。
 昨年の豪雨災害の時にも、匿名の方から2億円の当選宝くじをご寄付いただき、有効に役立つように支援金等の形で被災者に支給したというエピソードがあります。
 最近では、県内の篤志の方から時価約2億円のストラディバリウスを寄託していただいたというニュースも全国に流れました。
 今年7月に、「五箇条の御誓文」の草稿がオークションに出展されるということがあり、その機会を捉えて、思い切って県費で購入しましたが、これも全国的な話題になりました。
 「五箇条の御誓文」は、本県の前身である越前藩出身の由利公正が、明治政府の発足当初、新しい国家の基本方針のために起草したものです。
 郷土の先人たちが近代日本を作った気概やその足跡を、若い人たち、特に子どもたちに知ってもらい、県民としての誇りと自信を持ってほしいと思っています。
 何かする時は思い切ってやるということが大事ですし、一生懸命仕事をしていると、思わぬいただきものをすることもあるのかなと思ったりします。
 皆さんのお手元に「なぜか長寿。」というリーフレットをお配りしてありますが、福井県のファンとして本県をPRしてくれる人に「ふくいブランド大使」になってもらっています。その人たちにお渡ししているものです。
 皆さんにも是非、福井県のファンになってもらいたいし、遊びに来ていただきたいと思います。

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【質疑応答】

(問)最近、道州制の問題がクローズアップされているが、「福井元気宣言」を見ても具体的記載はない。「福井県第一主義」的な観点から書かれているように思えるが、近隣府県との連携などはどう考えるのか。
(答)道州制については、その目的や手順がいまだにはっきりしていない。現在の都道府県には長い歴史があるし、特段大きな問題があるわけでもない。道州制が持つ意義や将来のあるべき日本の姿についてもう少し議論が必要ではないかと思う。

(問)最近では国政レベルでもマニフェスト選挙が一般的になってきたが、一体どれだけの人がマニフェストを見て投票したのか疑問だ。郵政民営化と言えば当選できたような流れがあった。自治体レベルの選挙では具体的なマニフェスト項目が議論になるのか。
(答)先般の衆院選挙で示されたように、国政レベルでは政党のマニフェストは党員を拘束するという機能の面が大きい。自治体の首長選挙ではマニフェストはいわば「標準装備」となりつつあるが、その点では、自治体レベルのマニフェストとは実質的な性格が異なるのではないか。こうした活用のされ方を見る限りでは、国政レベルでのマニフェストの実効は、今後の展開がなかなか難しいのではないかと感じている。

(問)「福井元気宣言」にはNPOやボランティアという言葉があちこちに出てくるが、こうした団体の多くは人的・物的資源が乏しいのが実状だ。福井県は彼らの活動に対してどんな支援をしているのか。
(答)ボランティアの活用というと、ボランティアに任せて行政は動かないというやり方をとる自治体も多いと思う。しかし、本県は、行政とボランティアの協力方式をとり、また地縁、血縁のつながりが強く、ボランティア活動も従来から盛んである。
 ボランティアの全国大会も実施したし、三国沖の重油流出事故を契機として「福井方式」の行政とボランティアの協働のノウハウを具体化し、中越地震の際にも新潟でそのノウハウを活用した。

(問)マニフェスト政治とリーダーシップという点でいえば、県と市町村との関係も重要だが、市町村が動かないと実現できないマニフェストの目標もあるはず。市町村との関係におけるリーダーシップをどう考えるのか。
(答)市町村との関係は、マニフェストにおける大きな課題と考えている。福祉や教育など、市町村と分かち合っている課題は多く、調整が必要になる局面が多い。中間評価結果の中でも、「県民が市町村民でもあるという現実を踏まえれば、行財政構造改革等の努力は、県の自己改革にとどまらず、市町村においても改革が浸透・定着していくよう、これまで以上に強力に働きかけていくことが望まれる。」という指摘があった。
 今後は、市町村ごとに目標や計画を設けて進めていくなどの工夫も考えられると思うが、具体的にどう進めるかはなお思案中だ。

(問)福井県には、越前と若狭という歴史や県民性の異なる二つの地域がある。県は議会との二元代表制をとっており、知事は全県ベースで選ばれるが、議員はそれぞれの地域をベースに選ばれ、多様な背景を持っている。
 議員はそれぞれの地域を代表して選ばれたという意識が強いと思うが、知事の問題意識とどのような調整を図っているのか。
(答)本県の議会は現在のところマニフェストを作成して進行管理をするということはしていないが、議員提案の条例制定などの動きが出てきている。議会も、全体を考えて動くという基本に立っているものと思う。

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