| 年号 |
年齢
(満年齢) |
区分 |
出来事 |
1862 文久2
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0歳
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幼
少
期
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旧暦12月26日(西暦1863年2月14日)横浜に生まれる |
| 1868 明治元 |
6歳 |
弟の由三郎が誕生 |
| 1869 明治2 |
7歳 |
ジェームス・バラの英語塾に通い始める |
| 1870 明治3 |
8歳 |
母親「この」が急逝 |
| 1875 明治8 |
13歳 |
青
年
期 |
東京開成学校(のち東京大学と改称)に入学する |
| 1879 明治12 |
17歳 |
大岡もと(のち基子と称す)と結婚する |
| 1880 明治13 |
18歳 |
東
京
美
術
学
校
時
代
|
東京大学を卒業し、文部省に勤務する |
| 1884 明治17 |
22歳 |
法隆寺夢殿の秘仏救世観音像を開扉させる |
| 1886 明治19 |
24歳 |
欧米の美術視察にアーネスト・フェノロサらと共に出張する |
| 1889 明治22 |
27歳 |
高橋健三とともに美術誌「国華」を創刊 |
| 1890 明治23 |
28歳 |
東京美術学校校長となる |
| 1893 明治26 |
31歳 |
美術調査で初めて中国を旅行する |
1898 明治31
|
36歳
|
日
本
美
術
院
時
代
|
東京美術学校校長の職を退き日本美術院を創立する |
| 1901 明治34 |
39歳 |
インドに渡り、翌年にかけて仏跡を巡る |
| 1902 明治35 |
40歳 |
インドの詩人タゴールと交流を深める |
| 1903 明治36 |
41歳 |
『The Ideals of the East(東洋の理想)』ロンドンで出版する |
| 1904 明治37 |
42歳 |
ボ
ス
ト
ン
時
代
|
アメリカのボストン美術館中国・日本美術部に入る |
| セントルイス万国博において「絵画における近代的諸問題」の題名で講演 |
| 『The Awakening of Japan(日本の覚醒)』をニューヨークで出版する |
| 1906 明治39 |
44歳 |
福井県に立ち寄り、異母姉の坪田百や夫の均を訪問 |
| 『The Book of Tea (茶の本)』をニューヨークで出版する |
| 1910 明治43 |
48歳 |
ボストン美術館中国・日本美術部長になる |
| 1911 明治44 |
49歳 |
弟の由三郎とともに坪田家を訪問 |
| 1913 大正2 |
51歳 |
古社寺保存会に出席し、法隆寺金堂壁画の保存について建議案を作成する |
| 療養のため新潟県の赤倉に移るが病状が悪化し、没する |
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