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ボストン時代
 「ボストン時代」(1904〜1913)

ボストン時代の天心
【ボストンでの天心】

世界有数の東洋美術コレクションを誇る米国ボストン美術館は、市長、教育長、大学教授、その他経済人、有識者で構成する理事会が運営し、市民からの寄付金が主な財源である。
館蔵品の大部分は、天心の友人フェノロサ、モース、ビゲロー、富田幸次郎らの尽力によるものである。
明治37年、天心は同館の中国・日本部顧問に就任した。
これより先、天心が大観、春草を伴って渡米した時の美術館の収納品は日本画3千6百点、蒔絵類5百点、金箔工芸品2千点、浮世絵2万点という多数にのぼった。その中には「平治物語絵図」、長谷川等伯の「猿侯の屏風」など、国宝級として有名なものも数多くあった。その多くは未整理のままであったため、整理分類を一手に任された。天心は整理・解説のために下段に後日、書き込まれるよう空白を作った独自のカタログを作ったが、このスタイルは今日では世界の美術館・博物館で使われている。

また、同年に開催されたセントルイス万国博での「絵画における近代的諸問題」と題した講演では、あまりにも流暢な英語、巧みな身振り手振り、また少しばかりの皮肉も交えた天心の芸術論が大喝采を浴びた。

さらに、明治39年(1906年)には、「茶の本」を英文で出版している。「茶の本」では、日露戦争での勝利で好戦国民と見られていた日本人が、実は花や茶を愛する優雅な民族で、平和を希求する民であることを、数多くの興味深いエピソードで綴っている。

天心は、講演や東洋美術品の収集に活躍し、ボストンの名士として教養高い市民から敬愛された。天心の死が伝わると葬儀が盛大に営まれ、おりからの豪雨にも関わらず多数の市民が集まり、心から天心をしのんだという。
ボストン美術館天心園
【ボストン美術館天心園】