
【東京美術学校校長の制
服を着て愛馬「若草」にま
たがる天心】
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明治13年(1880年)、東京大学を第一期生として卒業した天心は、文部省に入省し音楽取調掛に配属され御用掛に任命された。
月給四十五円の高給取りとなったが、上司との折り合いが悪かったため、1年後には内記課勤務となり、主に美術関係を担当することとなった。 フェノロサとの関係は卒業後もいよいよ深まり、明治17年には、秘仏中の秘仏とされ、長期間にわたって開かれることのなかった奈良法隆寺夢殿の救世観音像を開扉、千数百年の眠りを破った。天心はそのときの感動を「一生の最快事であった」と記している。 |