岡倉天心と福井県とのつながり
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英語に親しんだ幼少期
「英語に親しんだ幼少期」(1862〜1870)

幕末に刷られた一枚の版画がある。二人の外国人が珍しそうに中を覗き込んでいる。「石川屋」と染め抜いた「のれん」が風に揺れる。天心はここで生まれた。

現在は横浜市開港記念会館となっており、傍らには「岡倉天心生誕之地」と安田靫彦(ゆきひこ)の筆によるプレートがはめ込まれた碑が設けられている。
当時、外国人向け商店街の中心地であり、越前藩がずいぶんと力を入れていたことがわかる。

この「石川屋」を営んでいたのが、天心の父・覚右衛門である。武士ながら商才に富んでいたところから、橋本左内が推薦したという。「つね」という乳母が福井から呼ばれたが、この「つね」が橋本左内の遠縁にあたるところから、「つね」は天心の幼児期から左内のことを寝物語に語ってやまなかった。

天心は子どもの頃から英語が飛び交う店の中で育ちながら、ジェイムズ・バラの英語塾に預けられた。父覚右衛門の「これからは英語力を身につけなければ…」という考えからだ。

また、天心が8歳の時、母「この」が妹「てふ」を産んで急逝した。葬儀は神奈川の長延寺で営まれたが、天心はその縁で同寺に預けられ、住職玄導和尚によって「論語」「孟子」など漢学をみっちり叩き込まれた。

幼児期、人間形成の骨格に橋本左内をおき、漢学を学び、英語を習得したことで、欧米人を魅了するゆるぎない日本人であり、かつ国際人である「天心」が生まれ、その後世界に向けて日本の魅力を発信することとなった。