岡倉天心生誕150周年記念
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天心の業績U
天心が世に出た時代は、明治維新の大変革期で、西欧化の大波が押し寄せ、廃仏毀釈により仏教が衰退し、例えば、奈良の興福寺金堂が売りに出され、僧侶は全員が春日神社の神官になるなど混乱を見た時代であった。寺院の寺宝や貧しくなった大名華族が家伝来の名品などを市場に出したため、その大部分が外国人の手に渡った。そのため、天心の多大な努力にも関わらず、多くの国宝級の美術品が海外に流出し、今日では米・仏・英国の代表的美術館に納まっている。このことは、日本人にとっては残念なことにも思えるが、本物の日本美術のよさを世界中の人が身近で見ることができる状態にあるといえ、真に国際的な観点からは、意義のあることであろう。

天心はまた、国内の文化財のはなはだしい損傷に胸を痛め、美術院第二部を奈良におき、畿内地方の神社仏閣の仏像など、文化財の修理に当たらせるなどした。

ともあれ、明治の美術界は天心を抜きにしては語れない。美術学校校長として美術行政のトップに立ち、第一級の画家を養成し新たな日本画の創造に力を尽くした。また、彫刻科からは、我が国彫塑界(粘土で立体像を創り上げ、型を取り、石膏を流し込んで石膏像を創る 立体造形)の先駆者高村光雲を出している。

再三にわたるインド・中国旅行は日本美術の源流を探る旅となり、そこから得た膨大な知識を駆使して「日本美術史」がまとめられ、更に英文三部作「東洋の理想」「日本の覚醒」「茶の本」を刊行、欧米人に日本を理解させた功績は大きい。天心ほど率直に西洋の語った日本観、東洋観をえぐって反論し、かえって西洋人から「尊敬と賞賛と敬愛を得、日米両国間の相互的理解に功績のあった(ボストン美術館理事会)」人はいない。

幼年にして英文に親しみ、欧米を学び、中国・インドを旅した天心が、生来の直観力で流れ込む西欧文明の中で我が国で育つもの、育たぬもの、文化を毒するものを見分け、文化全般にまで影響を及ぼしたその大きさは認める必要がある。天心の「美術指導」「古社寺保存」「西欧人への感化」は、明治期において抜きんでて実践的であった。