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「く」 苦労して 出世した父 覚右衛門
~ 福井藩士だった父・覚右衛門 ~
天心の父、岡倉覚右衛門は、福井藩士として、横浜で藩の特産品である生糸絹袖(きぬつむぎ)等を扱う貿易商「石川屋」を営んでいた。
石川屋の設立は、幕末の志士で福井藩士であった橋本左内の進言によるところが大きいと言われている。左内は早くから海外との貿易に着目し、当時海外との取引の中心地となりつつあった横浜に横浜商館主をおき、そこに士魂商才あるものを送り込み、福井藩の経済建て直しの一助とすることを考えた。
そこに抜擢されたのが、下級武士の出でありながら算盤の才と実直な人柄が買われ、御納戸役(おなんどやく)に抜擢され、才覚をあらわし始めていた覚右衛門であった。
明治6年の廃藩置県とともに、石川屋を閉じたときには当時の金で三万円という大金を松平家に返上していることから、覚右衛門の経理手腕、商才や律儀さが伺える。
一方で、覚右衛門は俳号を月夜庵鸝由(げつやあんりゅう)と号し、余暇に連句をたしなむ風流人でもあり、現存する書簡(親族の竹下助七宛)の筆跡・内容から、かなりの教養の持ち主であったことが窺える。福井での生活は時に九頭竜川に釣り棹を差し、あるいは鴨打ちにいそしむという趣味もあったという。
五浦(いづら)において晴れた日を選んでは洋上に小船を浮かべ、釣り三昧に過ごした天心だが、父の血を受け継いでのことだったのかもしれない。
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