Top>コラム「福井県のものづくり人物伝」
福井のものづくり人物伝
細井順子写真

羽二重王国の生みの母
細井順子
(1842~1918)

 羽二重は日本を代表する絹織物で、和服の裏地などに使用されています。福井県は、この羽二重の生産で全国シェアナンバーワン(約36%)となっており、その基礎を築いたのが細井順子です。
 1876年(明治9年)、当時福井で使用されていた織機の4倍もの能力を有する「バッタン機」の伝習生として抜擢され、京都の工場に派遣されました。持ち前の熱心さと器用さにより、わずか1年足らずで習得し、福井に戻り織工会社の教師となりました。
 最先端の機械であり、修繕する道具も技術者もいない状況の中で、順子は創意工夫をしながらその技術を全ての工員に伝授しました。全国に先駆けてこの機械を使いこなせるようになっていた福井県は、その後全国一の羽二重産地に成長していったのです。

バッタン機

バッタン機(ケイテー(株)所蔵)


※細井順子写真:「福井縣自治民政資料」(明治45年木戸正栄編)から


増永五左衛門

福井の眼鏡産業の祖
増永五左衛門
(1871~1938)

 福井県は眼鏡枠製造で全国シェアナンバーワン(約95%)となっています。福井県の眼鏡産業は、1905年(明治38年)に旧足羽郡麻生津村生野(現福井市生野町)の篤志家・増永五左衛門が、農業以外に収入に結びつく産業を定着させるため、大阪から眼鏡枠職人を招いて、その製造法を学んだことに始まったと言われています。
 翌1906年(明治39年)には、東京の名工・豊島松太郎を招き、赤銅を材料とした眼鏡枠作りを伝授されました。技術向上は苦難の連続 でしたが、遂に1911年(明治44年)に、国内博覧会の赤銅メガネ部門において「有功一等賞金牌」を受賞。五左衛門が育てた職工たちの技術が、その後の福井の眼鏡産地の発展につながっていったのです。

当時の工場の様子

当時の工場の様子


明治時代の眼鏡

※各写真は増永眼鏡(株)提供


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