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平成17年度テ−マ展 「近現代日本画の名品/岡島コレクション」

 

 平成17年度第5回所蔵品によるテ−マ展は、近現代日本画と岡島コレクションをご紹介します。

 

1 名 称            平成17年度第5回所蔵品によるテ−マ展 

「近現代日本画の名品 / 岡島コレクション」

2 会 期             平成18年1月20日(金)〜平成18年2月22日(水)

3 会 場             福井県立美術館

4 開館時間        午前9時〜午後5時(入場は閉館30分前まで)

5 休館日            1月30日(月)、2月13日(月)

6 観覧料            一般・大学生  100円 (団体30名以上は2割引)

                            高校生以下・70歳以上・障害者手帳等をお持ちの方は無料

7 主な作品        「近現代日本画の名品」

菱田春草「落葉」 明治42

村上華岳「蓮華座上観音」 大正911年頃

横山大観「田家の雪」 昭和12

加山又造「人と駱駝」 昭和32年 ほか

                            「岡島コレクション」

後藤宗乗  「狂獅子図目貫」 室町時代

仙台住清定「軍扇文金合口拵」 江戸時代

作者不詳「万延大判」 江戸時代・万延元年

作者不詳「銅像観音菩薩立像」 中国・唐時代 ほか

 

 

8 概 要

【近現代日本画の名品】

 「日本画」、すなわちニカワと岩絵具、墨を使用して紙や絹などに描く、日本の伝統的表現の絵画をさすこの言葉は、実は使われてから未だ100年と少ししかたっていません。明治になって日本の美術制度が確立されるにともない、それまで狩野派など流派等によって区別されていた日本の絵画を、西洋画(洋画)と区別するために作った言葉がすなわち日本画なのです。今回の所蔵品によるテーマ展は「近現代日本画の名品」と題して明治以降、一世紀余にわたる近現代の日本画の歩みをご紹介します。

 

 近代日本画を語る上で最初に触れなければいけない人物といえば、アメリカ人アーネスト・フェノロサと岡倉天心でしょう。お雇い外国人教師として日本の伝統美術に魅せられたフェノロサは、当時の日本における西洋偏重主義を批判し日本絵画の優位性を説きました。彼のこの批判は、日本の文化面における欧化政策に対する反省の時期とも重なって、伝統絵画復活の機運を大きく促すことになりました。同時に彼の指向は岡倉天心にも強い影響を与え、両者はともに日本の伝統文化の保存、さらに伝統に立脚した新たな絵画の創造を目指すことになったのです。

 

 先ず明治17年(1884)に二人により結成された鑑画会は、狩野派の伝統にたちつつ、西洋画の写実性をとりいれた新日本画の開拓に努めたもので、狩野芳崖、橋本雅邦らが中心となりました。そして明治22年(1889)には東京美術学校(現東京芸術大学)が開校し、天心を校長として横山大観、菱田春草、下村観山、木村武山といった俊秀が集い、彼の指導の下に日本画の刷新は進められていきました。しかしこれら性急な天心の行動は批判を招き、ついには学校長辞任へと追い込まれてしまいます。そこでこれに抗議した大観らと学校を離れ、日本画の研究団体である日本美術院を設立、明治30年代には「朦朧体」という新たな表現方法を生み出しました。朦朧体とは日本絵画の伝統的表現である輪郭線をなくし、色彩のみによって行う表現のことです。これは洋画表現を日本画に移植したというべきもので、伝統絵画における色彩を通しての実験的な試みとして当時画期的なものでした。

 

 一方、日本の伝統文化の中心地京都では、江戸時代以来のさまざまな流派の画家が数多く活躍していましたが、明治13年(1880)にはいち早く京都府画学校が創立され、さらには京都青年絵画研究会が設立されて若手の育成に大きく寄与しました。なかでも写生を重視する四条派の画家竹内栖鳳を中心に、京都の日本画は近代化の道を歩みだしました。栖鳳は諸流派の表現をとりいれ、さらに外遊経験をも生かして西洋画法も摂取、京都の近代日本画に大きく貢献しました。

 各地のこうした動きの中で、明治40年(1907)には文部省美術展覧会(文展、のち帝展)が開設され、国家主導の展覧会として東京、京都、そして諸派を総括、展覧会は終戦直後まで存続しました。

 

 明治中期の初期日本美術院に始まった近代日本画は、自国の伝統との対決、その批判的継承、それに外からの刺激もあって大正から昭和期にかけて一つの成熟期をむかえました。なかでも大正2年(1913)の岡倉天心の死を契機とし、翌年に再興された日本美術院(再興院展)によって日本画はまた新たな局面を迎えたといえます。再興院展は大観ら初期院展画家に加えて、今村紫紅、安田靫彦らが同人となり、さらに小林古径、前田青邨、速水御舟、堅山南風といった画家が参加、天心以来の民族主義的でロマン主義的な姿勢を堅持しながらも、各画家の個性的開花とあいまって華麗な展開を示しました。

 

 また京都においては画壇の指導的地位にあった竹内栖鳳門下から、幾人もの俊才が育っていきました。なかでも京都画壇に革新をもたらしたのは土田麦僊、小野竹喬、村上華岳らによる国画創作協会でした。彼らは官展(文・帝展)で認められずに離反、ヨーロッパの世紀末芸術や後期印象派らの影響をうけ、さらに伝統と対峙しながら、近代性、写実性、装飾性、文学性とそれぞれの個性に適応した作風を見せました。

 

 そして昭和期に入ると日本画は更に作風の洗練と深化が進められていきましたが、こうした時流になじまず新たな活動を興したのが川端龍子による青龍社でした。龍子は会場芸術と称し、床の間芸術とは異なる大衆に訴える大作主義を主張、躍動感溢れる作品を発表しました。その後彼の門下からは戦後の日本画に一地位を築いた横山操が、さらにその門下から福井出身の米谷清和らが巣立ち現在も活躍しています。

 

 終戦と同時に日本画は新たな展開を見せることになりました。一部では日本画滅亡論さえおこりましたが、各美術団体が復活し、さらにそれを契機として団体の分裂、新設などが見られました。院展はそうしたなかでも已然として日本画の中心的存在としてその役割を果たし、奥村土牛、小松均、そして福井出身の山本大慈らが活躍しました。一方、官展は戦前にならって再出発しましたが、民主化の動きの中で国の手を離れ財団法人化して日展となり、一美術団体として池田遥邨や堂本元次、竹内浩一らが活動しています。また戦後新たに創画会が設立され、加山又造などが活躍、院展・日展と並ぶ日本画界の大きな勢力となっています。

 

 さらに京都においても昭和23年(1984)に、京都市立絵画専門学校日本画科の卒業生である福井出身の三上誠を中心に、星野真吾、大野俶嵩、下村良之介らが参加してパンリアル美術協会が結成され、それまでの日本画の概念にとらわれない先鋭的な革新運動を展開しました。また他にも各地で若手を中心に団体の境を越えた精力的な活動が今も続けられています。

 

 21世紀に入り、日本画の表現や素材、概念も大きく変化し、日本画と洋画といった区別を越えた作品も見られるようになりました。そのような中で、絵画は明治期における「日本画」創造のごとく、新しいかたちが問われだしており、その意味でも今大きな転換期をむかえているといえるでしょう。

 

 

【岡島コレクション】

 岡島コレクションは、大野市出身の岡島辰五郎氏(明治13〜昭和37)が、アメリカ・ニューヨークで美術貿易商を営むかたわら収集した金工品を中心とするコレクションです。昭和33年に本県に寄贈され、同年福井市宝永の養浩館隣りに建設された岡島記念美術館で展示されてきました。以来多くの人々に親しまれてきましたが、昭和55年の同館閉館に際し当館に移され現在に至っています。

 

 岡島氏は東京芸術大学の前身である東京美術学校で鋳金を学びました。在学中は校内の生徒作品展で賞を受けるなど早くから優れた才能を示し、卒業後は東京で鋳金工場を設立するかたわら、東京彫工会にて褒賞を受賞、また同会の審査員をつとめるなど活躍しました。その後単身でアメリカに渡り、ニューヨークで東洋美術を扱う「山中商会」に入社、後年独立して「日本美術商会」を開き、日本の美術品を中心とした商いを行いながら数多くの作品を収集しました。

 

 670点を超えるコレクションのうち、目貫や縁頭、小柄など、いわゆる刀装具がその大半を占めますが、その他にも中国の金銅仏や貨幣、装身具、煙草入れや煙管といった喫煙具、そして漆器など内容は多岐にわたります。そしてそれらの中には美術的かつ資料的にも優れた作品が数多く含まれるのも本コレクションの特徴といえます。これらは何れも単なる美術商の立場ではなく、金工作家として深い知識と経験に裏打ちされた岡島氏の目を通して選ばれたものばかりであり、氏の確かな審美眼を示した貴重なコレクションといえるでしょう。

 

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