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平成18年度第6回所蔵品によるテーマ展 ―曽我派と岩佐派/岡島コレクション―

 

県立美術館では、平成18年度第6回所蔵品によるテーマ展―曽我派と岩佐派/岡島コレクション―を開催します。

 

1 会 期            平成19年1月19日(金)〜2月24日(土)

 

2 休館日          2月5日(月)、19日(月)

 

3 開館時間       午前9時〜午後5時(入場は午後4時30分まで)

 

4 観覧料          一般・大学生 100円(30名以上の団体は2割引)

                         高校生以下、70歳以上および障害者手帳等をお持ちの方は無料

 

5 趣 旨

 中世から近世にかけては様々な表現や流派が生まれ、福井でも多くの画人が、地元福井を始め、京や江戸で活躍しました。室町時代の越前朝倉氏の絵師であった曽我派、福井藩主に仕えた岩佐又兵衛が興した岩佐派と、どちらも福井ゆかりの画派の多彩な表現を紹介します。

 また、大野出身の貿易商であり、自らも金工作家としてすぐれた才能を示した岡島辰五郎氏(1880〜1962年)が、確かな審美眼で選んだ刀装具を中心とした貴重なコレクションも併せて紹介します。

 

6 主な作品

―曽我派と岩佐派―

          小島亮仙「山水図」 15世紀(室町時代)

          曽我直庵「松柏に鷹図屏風」 16〜17世紀

          岩佐又兵衛「三十六歌仙図」 17世紀(江戸時代)ほか

―岡島コレクション―

          後藤程乗「貝尽図目貫」

          後藤即乗「這龍図目貫」ほか

 

7 問い合わせ先

福井県立美術館

福井市文京3丁目16-1

TEL0776-25-0452/FAX0776-25-0459

 

8 解説

●曽我派と岩佐派

 室町時代は、色彩豊かな大和絵に対して、中国の宋元画様式と禅宗の深い精神世界が結びついた水墨画(漢画)が幕府とその庇護下にある禅林で流行し、そこでは如拙、周文などの名手が生み出され、いわば水墨画のアカデミーが形成されていました。

 しかし将軍の権威も騒乱の中にあっては戦国大名の勢いに押されがちで、画壇も地方拡散の様相を深めていました。山口の雪舟、北条早雲以下の4代に仕えた狩野派の傍系・小田原狩野、東北地方は会津の雪村、そして越前朝倉の曽我派といったように、多様な動きが湧きあがっていました。

 そのなかでも曽我派の初代とされる墨渓(ぼっけい)は、当時水墨画壇の頂点にたつ周文にその画技を学び、越前朝倉氏に絵師として仕えるだけではなく、2代宗丈(そうじょう)とともに大徳寺の一休禅師と関係を深め、その肖像や関連寺院の画作に腕を振るって、曽我派の基礎を固めました。そして3代紹仙(しょうせん)、4代宗誉(そうよ)、5代紹祥(しょうしょう)と画系は続き、その他にも曽我派の弟子として小島亮仙(りょうせん)が知られるなど、約130年に渡って代々越前や京都で活躍しますが、天正元年(1573)の織田信長による朝倉氏滅亡とともに、画系としての曾我氏も途絶えたと考えられます。

 また、桃山から江戸初期にかけて堺を中心に活躍した曽我直庵とその子の二直庵は曽我派の末裔を自称し、豪壮な山水花鳥の大作で、狩野、長谷川、海北、雲谷の各派と並び称されました。

 織田信長や豊臣秀吉、そして戦国大名が活躍した桃山時代は、わびさびを感じさせるモノクロームの水墨画世界とともに、権力や財力を天下に示す、金箔・緑青・群青などの濃密な色彩の金碧濃彩画を好みました。岩佐又兵衛が天正6(1578)年、摂津伊丹城主荒木村重の子として生まれたといわれているのは、そのような時代でした。幼くして父村重が主君織田信長に反逆したため一族は滅ぼされますが、奇跡的に逃れた又兵衛は本願寺教団に匿われて京都で育ちます。そして母方の姓「岩佐」を名乗って、武将の子として生まれながらも絵師として生きるという数奇な生涯を送ることになるのです。

 時の権力者を常にパトロンにもつ狩野派が新政権のある江戸へ移動し、琳派の創始者である俵屋宗達が京都で喝采を受けるなか、同じく京都で活躍していた又兵衛は元和2(1616)年頃、越前北ノ庄(現福井市)に移り住みます。これは時の越前藩主・松平忠直による文化人招聘策に応じたとの見方が有力で、主に福井藩の用命による制作を工房を率いて行ったものと考えられます。又兵衛はこれより約20年間を福井の地で過ごすことになりますが、この期間を福井時代と称し、活動的にも作品の質的にも最も優れた時代でした。その絵は当時の様々な流派の様式を兼ね備えた表現で、古典から風俗画まで幅広くこなし、特に風俗画では生前より「浮世又兵衛」の異名をとるなど新境地を開き、後世には浮世絵の祖として半ば伝説化して語り伝えられました。

 福井時代の優れた作品によっていよいよ名声が高まった又兵衛は、寛永14年(1637)年には妻子を残して江戸へ旅立ち、江戸では幕府関連の絵画制作などで多忙な日々を送りますが、慶安3(1650)年再び福井の地を踏むことなく江戸で73歳の生涯を閉じました。しかし彼の確立した画風は岩佐派という一流派を形成し、没後も息子の源兵衛勝重(げんべえかつしげ)、孫の陽雲以重(よううんもちしげ)と受け継がれ、引き続き福井藩の御用絵師を務めました。ところが貞亨3年(1687)年の藩領の半減によって絵師の職を解かれたのを機に三代目陽雲は絵筆を捨て、岩佐家を首領とした岩佐派の活動に終止符が打たれたのでないかと考えられています。

 しかし又兵衛によって確立された画風は、又兵衛の弟子や代々の岩佐派画人によって又兵衛の名とともに受け継がれ、また他派に影響を与えて新たな様相を呈しながら広く一般に親しまれていったと考えられます。

 

●岡島コレクション

 「岡島コレクション」は、ニューヨークで美術商として活躍した大野出身の岡島辰五郎氏(おかじま・たつごろう、1880〜1962年)収集の、細密な金工品が主体のコレクションです。岡島氏が美術商としてだけでなく金工作家としての観点から多岐に渡って収集したもので、氏の確かな見識と審美眼を反映した貴重な資料です。特に刀装具は、室町後期から幕末にかけて足利・豊臣・徳川家に仕えた装剣金工作家の後藤家の作品が初代祐乗から15代真乗まで揃っており、コレクションの主体となっています。

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