平成19年度第7回所蔵品によるテ−マ展「風景と山水」
1 名 称 平成19年度第7回テ−マ展「風景と山水」
2 会 期 平成20年1月19日(土)から2月23日(土)まで
3 会 場 福井県立美術館
4 開館時間 午前9時から午後5時まで(入場は閉館30分前まで)
5 休 館 日 2月4日(月)、18日(月)
6 観 覧 料 一般・大学生
100円 (団体30名以上は2割引)
高校生以下・70歳以上・障害者手帳等をお持ちの方は無料
7 主な作品
小島亮仙「山水図」
山田介堂「初夏山水図」
原雅幸「樹間の雪景」 ほか
8 内容
「風景」と「山水」‐いずれも自然の景観を描いた絵画としてなじみ深い題材で、今や絵画の大きなジャンルとして知られています。「風景画」というと、西洋や近代以降の日本において自然の光景を描いた画、また「山水画」は近代以前に日本を含めた東洋で描かれたもので、単に呼び方の違いのみというイメージがあるのではないでしょうか。しかし両者は自然の景観を描くという点で確かに共通するものの、その起こりや発展などには大きな違いがあります。今回のテーマ展は「風景と山水」と題して、その展開を当館の館蔵品によって紹介します。
9 解説
「風景」と「山水」、いずれも自然の景観を描いた絵画としてなじみ深い題材で、今や絵画の大きなジャンルとして知られています。「風景画」というと、一般の人々は西洋や近代以降の日本において自然の光景を描いた画を、また「山水画」は近代以前に日本を含めた東洋で描かれたもので、単に呼び方の違いのみというイメージがあるのではないでしょうか。しかし両者は自然の景観を描くという点で確かに共通するものの、その起こりや発展などには大きな違いがあります。
風景画(landscape)は西洋で発達したもので、古くはローマ時代の壁画などの美術にその起源を求めることが出来ます。しかしそれらはあくまで人物画などの背景として描かれたもので、純粋な風景画の独立は16、7世紀のオランダ絵画において初めて成立しました。これに対し山水画の歴史は古く、中国ではすでに六朝時代(3〜6世紀)に独立した山水画が描かれました。これは西洋の絵画が主に人体表現を主眼とするのに対し、中国や日本では人物画も古くからあるものの、自然への崇敬と愛好が早くから文学を介して美術の主題とされたことに基づくものと考えられます。また中国では北宋(10〜12世紀)時代に三遠(さんえん)と呼ばれる空気遠近法が確立するのに対し、西洋では15世紀初頭のネーデルランド絵画で空気(または色彩)遠近法が、また同じ頃のイタリア(とくにフィレンツェ)絵画で線遠近法が開発されて、風景画出現の条件が整いました。その意味で風景画は西洋の絵画が近代化する中で成長したものといえ、中国や日本の山水画と大きな対照をなしていると言えます。そして風景表現の形式に関していうならば、近景と遠景表現に加えて中景が描かれるようになって初めて遠近の連続感が生まれますが、中国では10世紀にすでに中景表現が認められるのに対し、西洋では14世紀半ばになってようやく中景描写が成立、以後加速度的に風景画が増大し、写実度を深めていきました。しかし西洋の風景画はジャンルとして独立した後も、長らく宗教画、歴史画、神話画等に比べて評価は決して大きいものではありませんでしたが、東洋の山水画はそれらと同等、ないしはそれ以上に高い地位と評価を与えられたことも特徴といえます。
では日本における山水画や風景画はどの様に発展したのでしょうか。日本文化は断続的に中国や朝鮮の影響を強く受けてきました。山水画においても法隆寺玉虫厨子の台座絵のように中国六朝時代の影響を受けたものが飛鳥時代にはすでに描かれており、奈良時代にはいると正倉院宝物中に唐時代の山水画風のものが見られます。また平安時代には、富士山や明石など和歌の歌枕の光景を描いた「名所画」が、色鮮やかなやまと絵によって数多く描かれ、日本における山水画の展開に重要な役割を果たしました。ただこれら名所画は必ずしも実景描写の必要はなく、むしろその場所を象徴させるモチーフ(富士山は末広がりの山容、明石は浜辺の景)による想像描写が多かったと考えられます。
一方中国では宋時代になると、それまでの色彩豊かな山水表現に対して水墨画による表現が確立されました。そしてそれらの作品が鎌倉時代以降、日本に数多くもたらされることにより水墨技法が定着、室町時代に入ると周文や雪舟などにより水墨山水画が隆盛を見せます。しかしかの有名な「天橋立図」(雪舟作)など僅かな実景山水を除けば、そのほとんどは中国絵画を手本とし、かつ「胸中の山水」の言葉に代表されるような理想的・心象的山水画が多数を占めました。そしてその制作態度は近世から近代の日本画に到るまで基本的に変化することはありませんでした。
このような表現は時代を経るにしたがい、次第に形式化、没個性化を助長することになりました。このようななかで江戸時代中期になると、写生を重要視した円山応挙や葛飾北斎、歌川広重などの浮世絵師、そして文人画家池大雅らによって新たな作品が描かれるようになりました。彼らは実際に日本各地を旅し、そこで見る光景を写生し、それをもとに西洋画の写実や遠近法などを取り入れたもので、その活動と作品は日本における風景画の先駆的な例として重要といえます。
そして時代は明治へとかわり近代国家への道を進む日本は、これまでの中国、朝鮮に代わって、西洋の文化を精力的に学びました。そして美術の面においても西洋の技法・表現・思想が取り入れられ、絵画においては西洋画(油絵)が新たな絵画技法として加わりました。それに伴い「山水画」とは異なる「風景画」の概念と制作が日本においても人々の間に浸透していったのです。これに対し岡倉天心らの指導の下、狩野芳崖や横山大観らが、これまでの日本絵画の伝統を守りつつも新たな日本画の創造に尽力、伝統的山水画と並行して日本画による風景画制作も行われたのです。一方、写実による具象風景を専らとしていた洋画の世界には、逆に「胸中の山水」的な風景作品(心象風景)も現れ、現在では具象風景を圧倒するほどの盛行を見せています。
風景・山水は制作者・鑑賞者共に現代の我々にも人気のある題材であり、その意味でも今後さらなる多様な表現を持つ作品が生み出されていくことでしょう。
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