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平成20年度企画展

「土田ヒロミのニッポン 都市化・バブル・新世紀・まつり・ヒロシマ・に見る時代と人々。

 

 

1 名  称        土田ヒロミのニッポン

                          都市化・バブル・新世紀・まつり・ヒロシマ・に見る時代と人々。

 

2 会  期        平成20年5月2日(金)〜25日(日)

 

3 会  場        福井県立美術館  第123、ギャラリー展示室

                          福井市文京3丁目16-1

 

4 開館時間      午前9時から午後5時まで(入場は閉館30分前まで)

                          金曜日は午後8時まで(入場は午後7時30分まで)

 

5 休 館 日        5月12日(月)

 

6 観 覧 料        一般700円、大高生500円、中小生300円

                            ※30名以上の団体は2割引

                            前売り・一般600円(5月1日まで以下にて販売)

                          プレイガイド/ベル、パリオ、イーザ、アルプラザ・鯖江、シピィ、ポー・トン

                          県立美術館、福井新聞社読者センター、福井新聞まんなかプラザ、

                          福井新聞県内支社・支局(支社・支局での販売は土日、祝日は行いません)

 

7 主   催      福井県立美術館、福井新聞社

 

8 共   催      南越前町

 

9 後   援      福井市、福井市教育委員会、越前市、越前市教育委員会、

                          FBC福井放送、福井テレビ、FM福井

 

10 企画協力     東京都写真美術館

 

11 内  容

 土田ヒロミは、福井県南越前町(旧今庄町)出身の日本を代表する写真家です。1960年代末から、日本の土俗的な文化、ヒロシマ、高度経済成長、バブル経済などのテーマにより、変貌する日本の姿を撮り続けています。そのユニークな視点と斬新なスタイルは、写真表現を大胆に切り開き、これまでにない日本の時代と人々を表現してきました。本展では、東京都写真美術館コレクションに最新作を加え、氏の写真作品の軌跡をとおして、あらためて日本の現代史をみつめ日本人を考えます。混沌とした世相のなか、土田作品は日本と自己の関係を見直す何らかのヒントをくれることでしょう。

 

12 関連企画

[土田ヒロミのギャラリートーク]

56日(火・祝日) 13:30〜/518日(日) 14:00

作家本人が展示会場で作品の秘密を語ります!

*本展チケットが必要です

 

[土田ヒロミの写真教室]

56日(火・祝日) 15:00〜 美術館ロビーにて

写真作品を何枚でも持参ください。土田先生が優しくアドバイス。初心者からベテランまで大歓迎!

*参加無料

 

[同時開催]

所蔵品によるテーマ展「新収蔵品紹介part2

*本展チケットにてご覧いただけます

 

 

問い合わせ先

福井県立美術館

〒:910-0017 福井市文京3丁目16-1

TEL0776-25-0452/FAX0776-25-0459

 

 

【土田ヒロミ:略歴】

1939年福井県南越前町(旧今庄町)生まれ。福井県立武生高校卒業。福井大学工学部卒業後、ポーラ化粧品本舗に入社する一方、東京総合写真専門学校で写真を学び、個展を開くなど、写真家としての活動を始める。退社後、写真家としての道を選んだ作家は、日本人の民族性を追及した『俗神』を発表した。「日本人としての自分自身の座標をもう少し確かめておきたかった」(「俗神」オットーズ・ブックス社より)というこのシリーズは、福井で育ち、次第に都会へと根付いていくであろう自己の確認、都市化が進むなかで失われていくアイデンティティの再確認がなされている。彼は、八百万の神が持つ人間的な特性に象徴されるような民族性を持つ日本人・民衆を「俗神」とし、その奔放な姿を捉えた。これらの作品には、日本の行動様式や生活意識が基づくところの精神的原体験を見出すことができる。その後、ニッポンをみつめるという意味では「俗神」と同じテーマでありながらも、その視点が原点と到達点という対局をなしている「砂を数える」を発表し、日本人の「群衆の人」的文化に焦点をあて、過密化した都市のなかへ順応していく民衆の姿を写し出している。また、伊奈信男賞を受賞したシリーズ「ヒロシマ」では、爆心地の被爆の痕跡を残す風景や、『原爆の子』(長田新編、岩波書店)に作文を寄せた被爆体験者の33年後のポートレイト、ヒロシマ平和記念資料館におさめられている遺品などを撮影し、当事者としてではなく、現代のなかで風化していく戦争意識を提起し高い評価を受けた。

 2008年、本展「土田ヒロミのニッポン」(東京展)により第27回土門拳賞を受賞。

 

【展覧会出品作品】

■パートT日本人

○「俗神」過去に繋がる私(1968-75

○「砂を数える」高度成長都市化する私(1975-89

○「パーティー」バブル経済踊る私(1980-90)

○「新・砂を数える」新世紀Fake化する私(1995-2004

○「続・俗神」日本のまつりを記号化(1980-2004

■パートUヒロシマ

○「ヒロシマ19451979」(1976-79

○「ヒロシマ・モニュメント」(1979-83

○「ヒロシマ・コレクション」(1982-94

■パートVDailyセルフポートレイト

Ageing−時間を巡る私−(19867月−)

(ビデオ作品、インスタレーション)

 

【作品解説】

「俗神」-過去に繋がる私-1968-1975

1968年から1975年に、日本各地を撮影取材。1971年、フリーランスになる際、自分自身を検証するために、まず日本文化に対峙する必要性から生まれた作品である。日本の古い宗教的な空間や祭りの空間、富士山、伊勢神宮、吉野、青森など土俗的かつ時代をまたいで継承した文化、人々を捉えた。

 

「砂を数える」-高度成長都市化する私-1975-1989

1975年から1985年までに日本各地で撮影された日本人の群集としての姿。「俗神」が一段落した1975年から、ほぼ10年間にわたって、首都圏を中心に撮りためたシリーズで、福井の山村を離れ、都市化していく自分自身の存在のありようを対象化する試みから進められた。「お祭り(初詣・花見を含む)」、「レジャー・行楽(遊園地・海水浴・博覧会など)」、「天皇行事」、「街頭・公園」、「学校儀式」、「戦争被災者慰霊」、「メーデー」、「スポーツ・ギャンブル」。日本人が、1980年代前後の時期、どのような機会に「群集」を成しているのか見て取ることができる。

 

「パーティー」-バブル経済踊る私-1980-1990

1980年から90年まで、バブル経済に沸く日本の異常ともいえる一時期に、当時どこかしこで開かれていた「パーティー」。「パーティー」というハレの舞台に、華やかな衣装で身を包み、派手なメイクとヘアスタイルで夜な夜な出没する人々の姿を捉えている。「俗神」「砂を数える」に通ずる、日本の群れの姿・日本人の本質といったものがここにも表されている。

 

「新・砂を数える」-新世紀Fake化する私-1995-2004

「砂を数える」のカラーによる続編。日本のバブル経済が一挙に崩壊していく中、時代のバーチャル化様相を考察している。一つのベクトル方向に動かず、互いに距離を取って群れる姿から、以前の「群れ」の形が確実に変質してきていることを如実に捉えている。デジタル技術を採り入れ、予測不能の現代像を展開している。

 

「続・俗神」-日本のまつりを記号化-1980-2004

「俗神」の続編として、お祭りそのものをカラーで制作。祭りの形を記号的に捉える。1981年に浅草でおいらんを撮影したことがきっかけとなった。民俗学的な分類より、形のおもしろさに重点が置かれている。大判フィルムを使用して、スタジオ・ポートレイトのスタイルを戸外で実行。形はかわっても断絶せずに続いてきた日本人文化の厚み、日本人文化の多様性を伝える。

 

「ヒロシマ三部作」

1973年頃より関りはじめた3部作によるシリーズ。ドキュメンタリストを自認する者として、フリーランサーになった71年頃より、原爆の惨事を記録する仕事をすべきだという思いから広島へ模索の旅に出る。実際に方法論を決定し、撮りだしたのは1976年。被爆体験記「原爆の子」(1951、岩波書店)に出会ってから、数年かけて30-40代になった原爆の子の消息をたどり107人に取材した「ヒロシマ19451979」。さらに1979年、原爆遺跡を記録した「ヒロシマ・モニュメント」。1980年に広島平和記念資料館の遺品、原爆資料の記録した「ヒロシマ・コレクション」へと続く。

 

Aging-時間を巡る私-(19867月〜)

1986年から毎日、自分の顔を記録として撮りはじめる。自分の老化に気づいたことが作品制作のきっかけとなった。老人社会や老化の問題を考えるとき、老人ホームの人たちを撮るありきたりのやり方ではなく、セルフポートレイトを定点観測的に撮影する方法を考え出し、現在まで続けられている。

 

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