システィーナ礼拝堂500年記念 ミケランジェロ展 天才の軌跡

沿革

生誕150年・没後100年記念
空前絶後の岡倉天心展
― 大観、春草、近代日本画の名品を一堂に

 日本近代における美術指導者として知られる岡倉天心は、福井藩士岡倉勘(覚)右衛門の次男として1863(文久2)年に横浜で生まれました。天心は、半世紀の短い生涯の中で文化行政に携わり、美術学校の校長を務め、思想家として著作を執筆し、ボストン美術館でキューレターとして働いています。それだけではなく、南画家に師事し、琴を学び、漢詩を残し、余暇には釣りを楽しみ、オペラの台本までも著しています。これだけみても天心が如何に多面的な人物かがわかります。本展は平成25年が天心の生誕150年、没後100年を記念して、多面的な天心のごく一面を豊富な資料で紹介します。とりわけ、従来謎に包まれていた天心のルーツ―天心の父、岡倉勘右衛門と福井との関係―を辿り、また国際人としての天心をアメリカ滞在時の活動と交友関係から掘り下げて紹介します。
空前絶後の名品
 天心の指導を直に受けた画家たちの作品が会場を彩ります。日本美術院の三羽烏と称された横山大観、菱田春草、下村観山を中心に、近代日本画の黎明期に活躍した狩野芳崖や橋本雅邦、また大観、春草の次世代にあたる安田靫彦、前田青邨、小林古径らの名品が並びます。天心が目指した理想の日本美術とは何か・・・作品を通じて感じ取ってみてはいかがでしょう。
【出品リスト】

【第1章】国際人天心の誕生
フェノロサコレクション約100年の時を経て、福井に集結! 【第2章】美術指導者としての天心
56年振りに展示! 【第3章】東洋文化発信
【第4章】新たなる挑戦
                         

略歴

岡倉天心略年表
1862年
横浜本町5丁目に生まれる。父岡倉覚右衛門。
1873年
東京日本橋に一家で移り、同年東京外国語学校に入学。
1876年
奥原晴湖に入門。
1879年
18歳でもとと結婚。
1880年
東京大学を卒業。同年、文部省に就職。
1884年
龍池会、鑑画会に参加。
1885年
図画取調掛の委員となる。
1886年
桜井敬徳より受戒。同年、欧米視察旅行へ出国。
1889年
東京美術学校が開校。同年に帝国博物館が設置され、理事、美術部長を兼任する。
1898年
東京美術学校を辞職し、日本美術院を創設。
1904年
アメリカに渡航し、ボストンでイザベラ・ステューアート・ガードナーを訪問。
1905年
五浦に六角堂を建立。
1906年
『茶の本』を出版。
1910年
ボストン美術館中国・日本美術部長に就任
1913年
赤倉の山荘で没す。