沿革
システィーナ礼拝堂500年祭記念
イタリア・ルネサンスの偉大なる巨匠ミケランジェロ・ブオナローティ(1475-1564)。“神のごとき”と称され、画家としてだけでなく彫刻家、建築家としても、ルネサンスの頂点を極めました。本展覧会では、ミケランジェロ作品の8割を有するといわれるフィレンツェのカーサ・ブオナローティから、彼が15歳くらいで制作したとされる日本初公開の彫刻《階段の聖母》を中心に、絵画、素描、書簡など60点を展示。89歳で亡くなるまで、精力的に活動した彼の偉大なる功績を紹介いたします。ミケランジェロ展 ― 天才の軌跡 Michelangelo The Making of a Genius and the 500th Anniversary of the Sistine Chapel 《ミケランジェロの肖像》
カーサ・ブオナローティとはマルチェロ・ヴェヌスティ(帰属)、1535年以降、油彩、カンヴァス カーサ・ブオナローティは、元来1508年ミケランジェロがフィレンツェ旧市街のギベッリーナ通りに購入し、1516年から25年まで居住した邸宅でした。その後は甥レオナルドとその家族の住まいとなり、以降一時の中断はあったものの19世紀半ばにフィレンツェ市に譲渡されるまで、ミケランジェロの子孫ブオナローティ家の本拠でした。現在は、一家が代々受け継いできたミケランジェロの素描、彫刻、書簡をはじめとする膨大な美術・考古・歴史コレクションと、ミケランジェロの偉業を讃えるバロック壁画の施された居室群を有する美術館として、一般公開されています。とりわけミケランジェロの素描と書簡に関しては世界一の質と量を誇り、世界的なミケランジェロ研究の拠点としても、重要な役割を果たしています。 《カーサ・ブオナローティの景観》
19世紀の画家、1830年頃、リトグラフに着彩 作品紹介
《階段の聖母》 *日本初公開
現存するものとしては、ミケランジェロの最初期の作品の一つ。15-17歳のころ完成された大理石彫刻です。浅浮彫(スティアッチャート)による聖母子像は、ルネサンス彫刻の創始者ドナテッロが得意とした技法・主題であり、キャリアのスタートに立ったミケランジェロが、偉大な先達の例に倣って鑿を手にしたことは想像に難くありません。しかし、ドナテッロのより繊細な人物描写や、空間への関心などと比べると、マリアの全身を極めて立体的に彫出し、力強い存在感を与えている点に、ミケランジェロの彫刻の特質が既に現れています。 《階段の聖母》
《「レダ」の頭部習作》 *日本初公開1490年頃、大理石 とある高名な美術史家をして、「イタリア素描史上最も美しい頭部の一つ」と言わしめた傑作。下を向き思いに耽った横顔が、極めて繊細な赤チョークのハッチングの濃淡でかたどられています。頬や耳などの最も細やかな部分は、ミケランジェロ本人が指で線を敢えてぼかしたとも、チョークを濡らして描いたとも考えられています。レダは、白鳥に姿を変えたゼウスに誘惑された、ギリシア神話の登場人物です。ミケランジェロは、フェラーラ公アルフォンソ・デステのために《レダと白鳥》を主題とする絵画を制作し(紛失)、本素描はそのレダの頭部習作として制作されたと考えられます。レダは女性ですが、ミケランジェロは当時の慣習に従い、男性モデルを用いてこの頭部を制作したようです。 《「レダ」の頭部習作》
1530年頃、赤チョーク 《食べ物のスケッチ;ミケランジェロが記した3つのメニュー》
1518年、ペン 《ミケランジェロによる詩「もし人の心に不死の望みが起こり、その行いを正すならば…」》
1532-33年頃、ペン 《キリストの磔刑》
1563年頃、木 《「最後の審判」のための習作》
1533-34年?、黒チョーク 赤チョーク 作品はすべてフィレンツェ、カーサ・ブオナローティ所蔵
© Associazione Culturale Metamorfosi e Casa Buonarroti 略歴
ミケランジェロ略年表
|