タナモネ展

構成

【第1章】 ロマン主義 ROMANTICISM
ロマン主義は19世紀初頭にヨーロッパで興った芸術運動で、18世紀に隆盛した新古典主義への反動として、理知よりも感情、客観よりも主観、形式よりも内容、普遍よりも個性をその拠り所とし、それまでの価値体系を根本的に変えました。  いち早くロマン主義的傾向が芽生えたイギリスでは、特に風景画においてその傾向が顕著であり、本展で紹介するターナーやコンスタブルはその代表作家として知られています。フランスでは主に歴史画のジャンルにロマン主義的傾向が窺えますが、その後コローをはじめとするバルビゾン派へとその精神は受け継がれていきました。

                        【第2章】 リアリズム REALISM
近代市民社会の成立と発展を背景に、19世紀中ごろのフランスを中心にリアリズム(写実主義)の絵画が登場しました。アカデミズムが掲げた理想主義と相反する運動であり、単なる写実的な絵画傾向ではなく、同時代の生活や事物を理想化せずに「ありのまま」を描こうとしました。リアリズムの画家として1850年前後にオノレ・ドーミエ、ジャン=フランソワ・ミレー、ギュスターブ・クールベらが登場し、なかでもクールベはリアリズムの旗手として、印象派をはじめ、次世代の画家に大きな影響を与えています。



【第3章】 パリのサロンとロンドンのロイヤル・アカデミー The Paris Salon and the London Royal Academy
フランスでは17世紀半ばに美術行政・教育を統制するアカデミーが創られ、官立の展覧会「サロン」の開催など、画家たちに大きな影響を与えていました。他国でもフランスの例に倣ったアカデミーが設立され、イギリスの「ロイヤル・アカデミー」もその一例です。美術の制度化が進む一方で、1863年にパリで開催された「落選展」に象徴されるように、19世紀後半に入ると歴史画に重きを置く伝統墨守の傾向、あるいはサロンに代表されるされる硬質化したアカデミー制度への疑問が表面化し、革新的な画家たちによって独自の展覧会が組織されていきます。 イギリスでもロセッティ等らにより、ラファエロ以前の芸術、すなわち盛期ルネサンス以前に美の規範を求める「ラファエル前派」の運動が展開されました。以降、イギリス美術は耽美主義的絵画やホイッスラーの色彩的調和を重んじた都市風景画などその表現範囲を拡張し、多様な展開を見せていくようになります。

【第4章】 印象派 THE IMPRESSIONISTS
フランスの官展「サロン」の因襲的な体質に反発したモネやピサロ、シスレーらは、自ら発表の場を求め、1874年、パリのナダール写真館でのちに「第1回印象派展」として知られるグループ展を開催しました。彼らはアトリエを飛び出して戸外制作を行い、移ろいゆく光や大気の一瞬を描くことを目指しました。その試行錯誤のなかで、絵具を混ぜず、細かいタッチを重ねて画面を構成する「筆触分割」という新しい手法を確立しています。 印象派誕生前夜、モネやピサロは普仏戦争を避けるために滞在したロンドンで、ターナーやコンスタブルの作品に接し、深い感銘を受けています。印象派が取り組んだ霧や雲など大気への眼差しには、ターナーをはじめ、イギリスの画家が追求した風景表現への共感に満ちています。

            【第5章】 ポスト印象派とその後 POST-IMPRESSIONISM AND AFTER
1880年代後半から90年代にかけて、古典主義的傾向や、科学的な色彩理論の応用、人間の内面を重視した象徴主義的な作品など、印象派の感覚主義を乗り越えて多様な展開を見せるようになります。このような新しい動向は「ポスト印象派」と総称され、20世紀絵画の源流として現代まで大きな影響を与え続けています。ウェールズにもこうした新たな刺激を受けて、オーガスタス・ジョンやジェイムスディクソン・イニスなど、フランスの最新の動向をとりいれた作品を描いています。



※上記の作品はすべてウェールズ国立美術館所蔵。©National Museum of Wales

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