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岡島辰五郎の足跡
岡島辰五郎
大野藩の重役家から東京美術学校へ
イメージ1 岡島氏の家柄は越前大野藩の家老職も勤めたことのある重役の家柄でした。氏の異色の経歴の発端は東京芸術学校への入学、入学者数が極めて少ない鋳金科への入学でした。これは、地元で採れる「大野銅」が高品質で細工物に適し、高額で取引できることに注目した大野藩が、藩営商店「大野屋」の代表として岡島氏を銅器鋳造技術習得のために入学させたと考えられています。このことから「岡島コレクション」は、絵画や彫刻ではなく精密な金工が主で、その多くが刀装具という特徴を持っているのです。
 
渡米しティファニーに就職、そして独立
イメージ2 19世紀後半のロンドンやパリの万博などをきっかけに、優れた技術による日本の工芸品は注目され、西洋では日本ブームが起こりました。日本の伝統技術を持った美術家が海外で歓迎されるという情勢にのり、岡島氏はニューヨークに渡ります。そして明治42年(1909)にティファニーに就職。その後、世界的な東洋古美術商であった「山中商会」に入社、昭和9年(1934)には独立し、マディソン街に「日本美術商会」を開業しました。
 
コレクションを故郷福井へ
イメージ3 明治・大正・昭和の時代に、その生涯をニューヨークの古美術商として生きた岡島氏。晩年は、自らロールス・ロイスを運転する元気なおじいちゃんとして親しまれていたそうです。76歳となった氏は、収集したコレクションのすべてを故郷である福井県に寄贈。美術館建設資金として720万円も寄贈し、昭和33年(1958)には「岡島美術記念館」を福井市宝永に開館します。そして4年後の昭和37年(1962) 1月、ニューヨーク市にて82年間の生涯を閉じました。
◉明治13年(1880) 9月18日
旧越前大野藩重役 岡島七郎・きん夫妻の四男として、大野郡大野町水落(現大野市水落)に生まれる

◉明治30年(1897) 9月
東京美術学校鋳金科へ
大阪七太郎(藩営商店「大野屋」の代表者名)として入学

◉明治34年 (1901) 7月
東京美術学校卒業

◉明治 36年(1903) 10月
東京田端に鋳金工場設立。主にブロンズを制作

◉明治40年(1907) 8月
沢田宗山に同行してニューヨークへ出発

◉明治42年(1909) 9月
ニューヨークのティファニー社工場に就職し、主に鋳金原型の製造に従事。同時に現地のフリー・アート・スクール(夜間)に入学し、デザインと鋳造を学ぶ

◉明治45年(1912)
ニューヨーク山中商会に入社。東洋美術の修理部門を担当

◉大正7年(1918)
山中商会を退社。ニューヨーク市内で「日本美術商会」開業

◉昭和9年(1934) 9月
店舗をニューヨークの中心、マディソン街へ移転

◉昭和31年(1956)8月
ニューヨークのオークションで収集した美術工芸品につき、福井県へ寄贈の申込みをする

◉昭和33年(1958) 2月 美術館建築資金として720万円を福井県へ寄贈
美術館建設開始

◉昭和33年(1958) 8月25日
福井県立岡島美術記念館開館式にニューヨークより招かれ出席
福井県最初の美術館として公開される。紺綬褒章を受ける

◉昭和37年(1962) 1月11日
ニューヨークにて病没。
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